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朝10分から始まる聖典のメッセージ㊻。精神の進歩も他の進歩も同じこと。投稿817日目

朝10分から始まる聖典のメッセージ㊻。精神の進歩も他の進歩も同じこと。投稿817日目

進歩と云うものは最初は極めて徐々に、やがて大きく伸びるようになるものです。これは植物の苗の生長と同じことであります。

魂の進歩や、精神統一力の進歩も、最初は遅々として中々伸びないように思われて、兎もすれば倦怠の念を起こしてくるようですが、其処を乗り切られなければ物になりません。

其処を乗り切ったとき、其の後は実に大きく急速に伸びて来るようになるのであります。すべての力はそれを正しく法則に随って使うことによって増大するのです。

谷口雅春先生著『新版 幸福を招く365章』P48-49

伸びていないように見えていても、毎日善き方向の行動を積み上げていくことで成長しています。途中で辞めたいときもあるでしょう。そういうときは少しペースを落としていいから続けること。人と比べる必要はありません。自分の道は神様とともにある。笑顔で頑張っていきましょう。

さて、今日はどんな喜びに出会えるでしょうか。
今日も明日もこれからも最高の人生を歩んでいきましょう(^^)

毎日の積み上げこそ、成長へ近づく第一歩

朝10分から始まる聖典のメッセージ㉚。先ず神に振り向くこと。投稿801日目

朝10分から始まる聖典のメッセージ㉚。先ず神に振り向くこと。投稿801日目

神に来れとは、神に振り向くことである。境遇の苦しさを訴え、環境の辛きに嘆き、人々の冷たきを悲しむ者は、神に振り向いていないで「苦しみ」に振り向いているのである。

苦しみに振り向く者は苦しみを見出し、悩みに振り向くものは悩みを見出す。暗黒の方向へ振り向いてはならない。光明の方へ振り向くべし。消極的な感情を持ってはならない。

積極的な勇気を喚起すべし。破壊的に物を考えてはならない。建設的に物を考えるべし。争闘の方向に物を考えてはならない。調和の方向へ物を考えるべし。どんな困難の前にも退嬰(たいえい)してはならない。自信力をもって勇敢に立向うべし。

谷口雅春先生著『新版 希望を叶える365章』P292-293

神様に心を振り向ける。それは見えないけれど、素晴らしい存在があると信じ続けて祈ることでもあると感じています。

悪いことが起こると、「あぁ、何て不幸なんだ。神様はやっぱりいないじゃん!!」って考えてしまいがちですが、ちゃんと自分自身の中に既にある。あるのだけれど見えない。見えないからこそ、祈りや神想観を通じて日々神様に照準を合わせていくことが大切であると説かれています。

何事も疑わず、素晴らしきものがあるのだと信じて頑張っていきましょう。
さて、今日はどんな喜びに出会えるでしょうか。
今日も明日もこれからも最高の人生を歩んでいきましょう(^^)

神様の方向に、じ~っと見つめていきましょう


朝10分から始まる聖典のメッセージ㉙。大宇宙銀行に福田を。投稿800日目

朝10分から始まる聖典のメッセージ㉙。大宇宙銀行に福田を。投稿800日目

資本もないし、信用もないと言う人もある。信用は、先ず神に信用せられるようにしなければならない。神をゴマカして、人の前に諂(へつら)って人から信用や好意を掻き集めようと思っても決して富は出てこないのである。

神に信用せられるためには、隠れたる処に、無条件に、人のためになる何らかの愛行又は善行をしなければならない。そのような愛行又は善行が眼には見えない世界に貯えられて「福田」となるのである。

谷口雅春先生著『新版 希望を叶える365章』P283

信用ってお金を積んだり、支払ったりしても作り出すことができない唯一のものですね。一日一日愛行・善行を積み重ねることで得られていきます。

このご文章では、先ず神に信用せられるにしなければならないと説かれています。人に優しくする、何気ない手助け、愛のあるコトバ。ちょっとしたことでも幸福の貯金はできます。

まずは目の前の人から実践してみませんか?

さて、今日はどんな喜びに出会えるでしょうか。
今日も明日もこれからも最高の人生を歩んでいきましょう(^^)

幸せはいつも身近なところからの積み重ね。

『せかいのおはなし』。投稿731日目

『せかいのおはなし』。投稿731日目

先日、一部の方に人気!?のオンラインラジオ『まさはるくんの浄円月な控え室』を配信しました。見てくれましたか??まだの方は、下記のリンクから見てね(^o^)

夜更かし注意

その大人気コーナーである、どんぶり兄さんの歴史コーナー。彼が人類光明化運動のため、一週お休みということに。そこで、チャンスヒッターとして、ボクが『せかいのおはなし』と題して15分お話させていただきました。

せっかくなので、スライドをブログでも公開します。動画が見られない方でも、これを見れば『せかいのおはなし』が楽しめます(^o^)
次回は、どんぶり兄さんが戻ってくると思うので・・・あとは任せた(笑

今日はどんぶり兄さんが人類光明化運動のため、おやすみということで、代わりに私がこの時間を担当します。

日本の歴史は彼の得意分野なので、私は世界の歴史から面白そうなものを少し話そうと思います。時間は15分(延長戦あり)ほどです。どうぞよろしくお願いします。

ちょっと話は変わりますが、私が今話しているコトバ、何でしょうか?日本語で話していますね。何を言っているんだ?ちょっとお疲れか?と思ったそこの皆さん、慌てないで(笑

実は今から話すことに関係しているのです。

皆さん、公用語って聞いたことありますか?
公用語とは、一般的にはこういうものです。

公用語
国、州など、ある集団・共同体内の公の場において用いることを公式に規定した言語を指す。簡単に言えば、法律や規定で公式に認めたコトバです。

イタリア→イタリア語
中国→中国語
ロシア→ロシア語

こんな感じです。

では、皆さんにお聞きします。日本の公用語は、何ですか?

実は、日本語は正式な公用語ではありません。
日本語 – 事実上の公用語。法律では特に明示はしていないが、公文書は日本語で書かれ、学校教育でも日本語を「国語」としている。

実は、日本の公用語は日本語として法律で定められていないのです。えー!!ですよね。そんな日本語を公用語として定めている国が一カ国だけあります。ご存じですか??

それがパラオです。
見えますか?こんなにも遠いんですね。日本からパラオまで3210km 成田空港から直行便で約5時間で行ける距離だそうです。産業は主に観光。温暖な気候と美しい海を求めた日本や台湾などの近隣諸国からの観光客が多く、それらのための大規模なリゾートホテルが数多く運営しています。

元々ドイツの植民地だったパラオは、第一次世界大戦で敗戦し、パリ講和会議によって日本の委任統治領となりました。
委任統治領というのは、国際連盟によって委任された国が国際連盟の監督下において一定の非独立地域を統治する制度である。この対象地域にパラオが入っています。

その後、日本の支援によって、ドイツ統治時代にはほとんど行われなかったインフラの整備に加え、野菜やサトウキビなどの農業の開発や、マグロの缶詰や鰹節などの工場を作り雇用を創出したのです。

普通だったら、敗戦国に教育や雇用創出などは施すことがないのですが、昔の日本人は道徳を学んでおり、どんな相手にも礼節を持って対応していました。

ここから決して目を背向けないで、悲しい歴史のものがたりがここにあります。

日本とパラオの関係を語る上で欠かせないペリリュー島。南北約9km、東西約3kmと小さい島ながら、太平洋戦争中の1944年に起きた「ペリリューの戦い」です。

第二次世界大戦時、日本軍はフィリピンを防衛するために、東洋最大の飛行場をペリリュー島に建設していました。アメリカ軍はフィリピンを攻略するために、日本軍にとって重要な場所であるペリリュー島を攻めることになります。

当初アメリカ軍が最新兵器を投入し、3日以内で終わると考えていたペリリュー島の戦いですが、日本軍が洞窟に身を潜めて持久戦に持ち込みます。

そのとき、日本軍の圧倒的不利な状況の中、パラオ人の中には自ら戦いに志願した者もいましたが、日本軍はこれを認めませんでした。
そして、73日間にも及んだ激闘の末、パラオ人の戦死者を0に食い止めました。しかし、約一万人いた日本兵はほぼ全滅したといわれています。

インフラを整備しパラオの産業発展に貢献した点、大戦時にパラオ国民の死者を一人も出さなかった点などから、パラオ国民には親日感情が生まれ現在に至るとされています。

戦時中に多くの日本人がパラオに移住しましたが、終戦後、パラオに住む多くの日本人が帰還を余儀なくされる中、唯一アンガウル州のみ、一部の日本人が残り居住を続けました。

やがてパラオはアメリカ統治下となりますが、アンガウル州では、それ以降も日本語が共通言語としての役割を果たしています。現在では、日常会話で流ちょうに日本語を話す住民は減ってしまいましたが、憲法には公用語に関する記述が今なお残されています。

日本国憲法には日本語を公用語と制定していないため、世界で唯一日本語が公用語に選ばれているのがアンガウル島ということです。

使われている日本語の一例です。(ここは、上にある控え室の配信と合わせて見ると面白いです。)

パラオの国名はマレー語の「プロウ(島の意)」から。

国旗は青地は太平洋の海の青と主権を表し、黄色の円は夜空に上る満月を描いており、愛と平和と静寂を表すといわれています。

これ真ん中を見てください。円がちょっとだけずれていませんか? これは印刷ミスでは無く、日本に敬意を表すために「あえて中心から少し横に移した場所に円を描いた」という説もあります。

せかいのおはなし、今日のポイントです。

パラオ(アンガウル州)では日本語が公用語
・いつの時代も素晴らしい日本人の存在がある
日本人であることを誇りに思う

日本とパラオの関係はこれからも続きます。

以上で終わります。ご清聴ありがとうございました。

オンラインラジオ『まさはるくんの浄円月な控え室』では、この他にも参加メンバーが様々な話やゆる〜い雑談を行っております。配信は、2週間に1回です。
次回は8月2日(日) 20時からです。皆様のご参加、ご視聴をお待ちしてます(*^^*)


目の前のことがおそろかになっていないか?投稿725日目

目の前のことがおそろかになっていないか?投稿725日目

前回の投稿に引き続き、二人目の方からいただいたLINEも素晴らしいことが書かれていたので、紹介したいと思います。

「先のことは、心配しても分からない。目の前のことがおそろかになっていないか?気にかけるのはそれだけにする。」

自分の仕事のこと、子どものこと、家のこと。
人間として、今やらないいかんことはいくらでもあります。心配するのは、それが全部終わったあとでええんやないでしょうか。

言い方は悪いけど、やっぱり暇をしているとどんどん悪いことを考えてしまうもんなんやと思います。

考えすぎやと思ったら、今、いちばんしなくてはいけないことに立ち戻ってみてはどうでしょう。

中村恒子・著 奥田弘美・聞き書き 『心に折り合いをつけてうまいことやる習慣』 より引用

付け加えて、こういうありがたい文章も綴られていた。

「密かに秋元さんブログ読むのが日課になってます!
いつも気にかけていただいてばかりなので、たまには私から励ましの言葉を送らせていただきます!こうして秋元さんの事を気にかけてる人がいますよという気持ちを伝えたかったので、今回は本から抜粋しました😊」

まさか、Yさんからこういう温かいメールをいただけるとは思っていなかったので、とても嬉しかった。こうやって見守ってくださり、いざというときにはコトバに出して励ましてくださる。

自分がやれるところからだね!!
本当にありがとう。心配かけてごめんね(^o^)

闇夜を照らすのは、温かいひかり。

置かれたところで咲きなさい。投稿724日目

置かれたところで咲きなさい。投稿724日目

先日、自分の気持ちがぐーっと落ち込んだときに、二人の方からLINEでメッセージをいただいた。ご本人にはお礼を伝えさせていただいたのだが、これが心に響くコトバだったので、紹介したいと思います。

一人目の方からいただいたLINEに書かれていたのが『置かれたところで咲きなさい』。ノートルダム清心学園の理事長でもある、渡辺和子氏の著書。

初めての土地、思いがけない役職、未経験者の事柄の連続、それは私が当初考えていた修道生活とは、あまりにもかけはなれていて、私はいつの間なか、” くれない族 ” になっていました。

「あいさつしてくれない」こんな苦労しているのに「ねぎらってくれない」「わかってくれない」自信を喪失し、修道院を出ようかとまで思いつめた私に、一人のい宣教師が一つの短い英語の詩を、渡してくれました。

その詩の冒頭の一行、それが「置かれたところで咲きなさい」という言葉だったのです。岡山という土地に置かれ、学長という風当りの強い立場に置かれ四苦八苦している私を見るに見かねて、くださったのでしょう。私はかわりました。

そうだ、置かれた場に不平不満を持ち、他人の出方で幸せになったり不幸になったりしては、私は環境の奴隷でしかない。人間と生まれたからには、どんなところに置かれても、そこで環境の主人となり自分の花を咲かせよう、と決心することができました。それは「私が変わる」ことによってのみ可能でした。

いただいた詩は、「置かれたところで咲きなさい」の後に続けて、こう書かれていました。「咲くということは、仕方ないと諦めることではありません。それは自分が笑顔で幸せに生き、周囲の人々も幸せにすることによって、神が、あなたをここにお植えになったのは間違いでなかったと証明することなのです」

私は、かつて” くれない族 ” の自分と訣別(けつべつ)しました。私から先に学生にあいさつし、ほほえみかけ、お礼をいう人になったのです。そうしたら不思議なことに、教職員も学生も皆、明るくなり優しくなってくれました。

「置かれたところで咲く」この生き方は、私だけでなく学生、卒業生たちにも波及しました。結婚しても、就職しても、子育てをしても、「こんなはずじゃなかった」と思うことが次から次に出てきます。そんな時にも、その状況の中で「咲く」努力をしてほしいのです。

どうしても咲かない時もあります。雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくてもいい。その代わりに、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。次に咲く花がより大きく、美しいものとなるために。

渡辺和子著『置かれたところで咲きなさい』より引用

オリンピック金メダリストの高橋尚子さんの高校時代の監督でもあった、 中澤正仁氏が彼女に日頃から伝えていたコトバも思い出す。

何も咲かない寒い日は下へ下へと根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く
有名なコトバだが、一つ一つ丁寧に積み重ねて行けば、必ずどこかのタイミングで突破口は開けてくる。いつも幸福は全力で頑張って手をのばした一歩先にあると言われている。だからこそ、根を貼るときも必要だと教えられる。

Nさんからいただいたコトバの裏に、たくさんの愛があふれていることを感じさせられた日でした。シアワセをありがとうございます(^^)


大嫌いな父(後編)。投稿721日目

大嫌いな父(後編)。投稿721日目

前編・中編はこちらから下記よりご覧ください。

浄心行を行うため、大拝殿と呼ばれるところへ行った。
今回は、浄心行用紙5枚を握りしめていた。前回の浄心行でかなり出し切ったので、1枚でも書ければいいなと思っていたが、父のこともあったので、この枚数となった。

確かこの時もご飯を食べずに書きまくった。浄心行をこれから受ける人へ伝えておきます。人の目を気にせず、思い切り時間を忘れて書いてください。これが悩み・苦しみから解き放つ方法です。私はそうやってココロのゴミを出しました。遠慮はいりません。

そして、浄心行が始まる。招神歌(かみよびうた)と呼ばれる、神様をお招きする歌を唱える。この時の先導はY先生。ゆっくりと招神歌を唱えてくださったのだが、声を大きさも相まって、合掌している指先がビリビリと波を打った。

波動がとにかくすごいのだ。本当に一切の悩み・苦しみから解放したいという気持ちが伝わる。気合いをかけ終わると、電気が消え、懺悔の神示を拝読。
そこから、聖経『甘露の法雨』とともに、聖なる火で浄心行用紙を自分の手で燃やす。

聖経を私は一所懸命、声高らかに読誦した。自分は変わりたい!!という気持ちからなのか、父との本当の和解をしたい気持ちからなのか、ひたすら、聖経に書かれているコトバを目で追っては読み上げる。もう、汗だくで相当必死だった。

読み終わると、 再び電気が消えて『 最後の審判についての神示 』を拝読。このときは、やりきった思いでいっぱいだった。
そして、『 久遠いのちの歌 』を拝聴。清らかな歌が流れる。しかし、それとは対照的に私の心は落ち着かなかった。

「もうすぐ終わるのに、今回も父への感謝がどうしてもできない!!こんだけやったのに、やっぱりだめだったか。」
周りからすすり泣く声が聞こえるのに、自分は涙ひとつ出ない。父への感謝といいつつも、やっぱりあの男に感謝なんてできなかったんだ。オレはダメだ。

そんなことを思いながらも、何とかココロを振り向けようとしていた。そうすると、ふいに暗闇の奥から何かが聞こえた。

「・・・ん。」
「・・くん。」

声が聞こえる。だけど、どこから聞こえるか分からない。
「まさくん。」
「え?」

ハッと意識を向けると、子どもの頃のボクがいた。左側に父の姿、右側に母の姿があった。

「まさくん、今日はね・・・。」

見上げてみると、二人がこちらを向いて笑顔で語りかけてくる。
あれ、親父のこんな姿、見たことないぞ。いや、まて、子どもの頃に見た!!
それは、小さい頃に父と母に連れられて、どこかの山へハイキングに出かけたときのことだった。

「お父さん、お母さん、あのね・・あのね。」
嬉しそうに二人の顔を見ながら語りかける私。

両手にはふたりの笑顔でいっぱい。



その光景を見て、もう目から大粒の涙があふれてきた。
嗚咽というレベルではない。過去に封印していた記憶や感情があふれだして、気がつけば、周りの目を憚らず、泣き叫んでいた。

「あー、あーーーー、お父さん、ごめんなさい!!」

そこには笑顔の父と母の姿しかなかった。今まで自分が憎み、苦しみ、怒りの対象としていたあの父はどこにもない。笑顔で語りかけてくれる、優しさに溢れたお父さん。

心の奥底では愛してくださった。
自分のことを考えてくれていた。
それなのに、どうしてコトバに出してくれなかったんだ。
きちんと伝えてくれていたら、お互いに誤解することもなかった。

ようやく本当の父の優しさに気がついた。父と離れてから10年目のことだった。
そして、浄心行は終盤にさしかかり、 ご先祖様・父母への感謝のコトバへと続く。
次回、完結編。

(・・・続く)


大嫌いな父(中編)。投稿720日目

大嫌いな父(中編)。投稿720日目

前編をご覧になっていない方は下記のリンクよりご覧ください。

数年後、私はあることがきっかけでまた父と向き合うことになった。
それが、宇治の一般練成会を受講したことだ。10日間住み込みで真理を学ぶ合宿所。仕事につまずき、初めて行ったときは、いかにも怪しい場所に飛び込んでしまったという印象だった。

ありがたくもないのに、「ありがとうございます。」と言われたり、お肉が一切出ない精進料理のような食事に戸惑ったりした。こんなところに来て一体何が変わるのか?と思っていたが、不思議と5日目くらいには慣れてしまった。

理由は今帰っても仕方がなかったのと、こんな落ちぶれた人間でも受け入れてくれたことが嬉しかったからだ。周りは知らない人ばかりだけど、ボクの話を聞いてくれる。そのことがありがたかった。

10日すぎたころには、既に回復して元気を取り戻していた。しかし、練成会で一つだけできなかったことがあった。父との和解だ。
”和解”とコトバで書けば簡単だが、頭で謝るとか、ごめんなさい!!というレベルではない。真に心の奥底から湧き出てくる絶対的な感謝。これが真の和解。今まで自分の考え方が違っていたと教えられたが、ここに向き合うのがどうしても難しかった。

とはいえ、仕事も休職中していたので、次の月も10日間練成会に行くことに決めた。また新しい発見や出会い、感動が生まれるという期待が心のどこかにあった。

浄心行の講話の際、「憎しみ・怒り・苦しみをありったけ紙に書いてください。もし書いている途中で、ちょっとでも感謝できることがあったら、それも書いてください。書けない場合は、憎い相手の立場に立って、きっとこういう風に考えてくれていたんだろうなーと想像しながら書いても大丈夫です。とにかく書きましょう!!」

ありったけの憎しみをぶつけた。

浄心行とは、心にある苛立ちやモヤモヤ・憎しみを紙に書き出して、お経を唱えながら、紙を燃やして心を浄める神聖な行事のこと。

初回の練成会のときは、浄心行用紙20枚書いた。とにかく腹が立って仕方の無いこと、自分のふがいなさ、憎い相手のことを紙が破れるくらい書いた。もう、燃やす前にすべてスッキリした。

今回も同じように書き始めた。憎い父親のことをこれでもかというくらい罵った。恨みしかない。自分のことを悪く言ってきた、見下してきた、バカにしてきたお前になぜ感謝ができるのか。そのことばかりが頭をよぎっていた。

その時、なぜか初めて父親の立場に立って書いてみようと思った。
講話を聞いてからなのか、分からない。

キツく言ってきていた父親。裏を返せば、自分の成長を見込んでくれたのか。
酔っ払ってグチグチとあたってきたのは、色々と仕事や人間関係の中で寂しさを感じていたのではないか。
もしかしたら、弱い自分に子どもの頃の自分を重ねていたのかもしれない。

不思議と紙にスラスラと想像ではあるが、書ける。今まで想像もしていなかった父の姿が出てきた。父への憎しみは変わることがなかったが、自分の中では一歩前進した。

果たして大嫌いな父に感謝できるのか?
今回も同じ結果に終わってしまうのではないか。
不安と憎き姿の父がいつまでも脳裏をよぎる。

そして、夜の19時40分。
舞台は浄心行へと移動する。
(・・・続く)


大嫌いな父(前編)。投稿719日目

大嫌いな父(前編)。投稿719日目

今日、6月21日は父の日。
ということをすっかりと忘れていた。

残念ながら父がどこでどう過ごしているのかは分からない。生きているかもしれないし、死んでいるかもしれない。感謝しようと心の底から思えたときは、もう会うことができなくなってしまった。

私の父は、自分で言うのも何だが頭がものすごく良い。某関西の有名な国立大学に入った。子どもの頃から神童と呼ばれて、勉強も良くできたようだ。一を聞いて十を知る。という性格で人の言ったことをすぐに理解した。

ただ、息子から見たら恐怖の存在でしかなかった。頭の回転が速い分、こちらがちょっとでも間違ったことを言うと厳しく言い返された。テストの点が悪いものなら、叩かれたり殴られたりもした。心のどこかで父への劣等感を感じていた。

ココロが休まる日などなかった日々。

そんな家庭環境で育ったせいか、勉強に関してはちょっと頑張れば1番を取ることは難しくなかった。頑張れば頑張った分、誰かがほめてくれる。認めてくれる。その優越感に浸るのがとても嬉しかった。でも、父は成績が1番になっても「そんなものは誰でも取れる!!!」と頭ごなしに否定された。

定期テストでは実力が発揮されるものの、実力テストでは全く成績が上がらず、受験を失敗。浪人することも許されなかったので、泣く泣く地元の専門学校に入学。卒業と同時に営業職となり、父は私のもとから姿を消した。

父が出ていった、家は快適そのもの。もう誰にも怒られない。バカにされない。自由を勝ち得た気持ちで満たされた。そりゃそうだ。お前が今まで自由気ままにやってきた代償がそっくりと返ってきたんだ。

もう二度と会うことは無いと思っていたが、私の誕生日になると電話がかかってきた。相手は憎き父。

「もしもし・・。誰だか分かるか?」
「何のようだ。お前に話すことなんてない!!二度と電話してくるなって言ったろ。かけてくんな。」
「お母さんに迷惑をかけてすまない。元気にしてるか?」
「うるさい!!」

時間にして、1分もなかっただろう。すぐに切った。その声を聞くと虫酸が走ったし、なぜ今頃になって電話をしてくるのか分からなかった。そんなことが何度も続く。

「会いに来てくれないか?」
「パソコンの部品があるのだけど、要らないか?」
「お前に会いたい。」

ムカついたが、日に日に弱くなる声に一度だけ会ってみようと訪ねて見たことがあった。しかし、そこでも口論になり、すぐに父の住んでいるところを出てしまった。

「あいつは一体何をしたかったんだ。」
会うたびに怒りが募り、憎しみが増し、父親の存在を否定したくなるほどだった。もう強かった父はどこにも存在しない。ただの哀れな男がそこにいた。

こうして、父と本当の意味で決別し、前に向かって進んだ私。
すっかりと父の存在など忘れてしまい、仕事に邁進していた。
それから数年後、私はあることがきっかけでまた父と向き合うことになった。
(・・・続く)


ココロの温度感。投稿717日目

ココロの温度感。投稿717日目

どうやらここ1週間は天気がよくなるとのことで、大変ありがたい。
今週は、オンラインで地元誌友会と30代誌友会、控え室の配信で怒濤の日々を迎える。その合間に対面訪問もいれているので、リアルとオンラインの二足のわらじ状態。ありがたいことです。

昨日、ある方とお話をした。最近でこそ笑顔で話せるようになったが、去年はどちらかと言えば、その方に不満を持たれることが多かった。話すたびに緊張感があって、どこか構えてしまうことがあった。

人間、好きな人と話していたほうが楽だし、あまり色々と言われると、本当にまた何か言われるんじゃないかなーと敬遠しがちに。でも、向き合わざるを得ないときも時にはある。

電話越しに話していても、温かみを感じるようになった。何というか、温度感、ココロの循環が良くなったというべきか。その人自身のことを分かろうとしていなかったときは、何でずっとそんな無茶なことを言うんだ。と頭を抱えることもあった。

これが近頃は無くなってきた。コトバはまとまらなくても、自分なりに目の前のことに対して、真剣に向き合ってくれているんだなと感じることができたからだ。

「まっさーさんも最近変わってきたよー。明るくなった(笑」
「え?ホント?○○さんも雰囲気変わったよ。前はこんなに話せなかったもん」

自分の中で青年会活動でもがいていた時期があって、相手と向き合うときの態度もヤバかった。相手に求めてしまう、自分の思い描いた通りにならない。なんでなんだ!!と憤りを感じて、ココロの奥底に怒りを何度も押し込んだ。

それがちょっとずつ周りの人の交流を深めていくなかで、ボク自身も変わっていったようだ。自分自身が変化には気がつきにくいが、周りからそう言ってもらえると、少し自信がつく。

オレも少しはイイ男になれたかな?
昨日かけてもらった嬉しいコトバを胸に秘め、今週も頑張っていくべ。