ありがとう、和子さん。投稿689日目
朝、周りが誰もいないときに静かにブログを書く。この時間が一番集中できる。
色々と思いを巡らせていると、ある一人の方にたどり着いた。書こうかどうか迷ったが、思い立ったが吉日。さっそく筆を進めよう。
白鳩会連合会長でもある和子さん。ボクは彼女が副会長のときからお世話になっていた。第一印象はとにかく明るい方。
「秋元くん!!元気にしているかしら?」
「はい、いつも通りですよ~。」
「元気があっていいわねー。これからも青年会、頑張ってちょうだいね!!」
誰にでも分け隔てなく声をかけていて、 彼女の優しさも相まってか細やかな気遣いがとても素晴らしかった。
一度だけ、休みを取ってT地区の練成会に参加したことがあった。
ボクの参加がとても珍しかったこともあり、色んな人から声をかけていただいた。特に和子さんの時は、がっちり握手されて「よく遠くからきてくれたね~。ありがとうね~。」と子どものような無邪気な表情で歓迎してくれた。
「どうせなら、3日間泊まっていってもいいわよ。あなたなら大歓迎よ(^^)」
「うおお、マジですか。教化部休むように今から電話しようかな(笑」
今、思い出しても昨日のことのように蘇る。
何かのイベントで足が不自由な方が歩いていた。そんなとき、和子さんはそっと寄り添って、明るいコトバをかけていた。連合会長となっても、腰が低い。どこまでも愛を出されているなと頭が上がらなかった。
青年会に対しても協力的で多少無理なお願いも快く聞いてくださった。組織対組織ではなく、一人の人間として心温かく受け入れてくださったことが何よりも嬉しかった。
ただ、昨年の12月のときに、中高生練成会の出講のお願いをしたときに、
いつもなら、前向きに考えてくださるのに、何故か「今回だけはごめんね~。」と頑なに断られた。
「どうしてもダメですか~?」といつもの軽い感じで聞いてみても
「ごめんなさい。どうしてもダメなの。また次の機会でね。」と神妙な面持ちで静かにコトバを呟いた。
中高生に向けて話すのがちょっと苦手だったのかもしれない。何かおかしいなと感じつつも「分かりました~。今度はお願いしますね~。」と笑顔でお返事した。
その後、体調不良で1月・2月と療養されることを知らされた。
特に、昨年あたりから祝福訪問でたくさんのところを回られていたので、疲れがたまっていたのかなと感じていた。早く元気になって、またいつもの明るい表情で声をかけてほしい。そう願っていた。
だが残念なことに和子さんは3月1日に天国へと旅立っていった。 声をかけたときは、もうかなり厳しい状態だったのかもしれない。
その知らせを教化部で聞いたとき、喪失感でいっぱいだった。
生長の家立教記念日ということもあり、何か運命的なものを感じた。本当にたくさんの信徒さんから愛されていた和子さん。霊界へ行っても、明るく生長の家の信仰をされていることでしょう。
濱山先生が亡くなったときもそうだが、いつもこのコトバを思い出す。
「その人についていくのはなく、生長の家の御教えについていく。」
悲しみの先には、神様が温かく見守ってくださっている。
そう信じて、これからも頑張っていこう。和子さん、今までありがとうございました<(_ _)>