置かれたところで咲きなさい。投稿724日目

置かれたところで咲きなさい。投稿724日目

先日、自分の気持ちがぐーっと落ち込んだときに、二人の方からLINEでメッセージをいただいた。ご本人にはお礼を伝えさせていただいたのだが、これが心に響くコトバだったので、紹介したいと思います。

一人目の方からいただいたLINEに書かれていたのが『置かれたところで咲きなさい』。ノートルダム清心学園の理事長でもある、渡辺和子氏の著書。

初めての土地、思いがけない役職、未経験者の事柄の連続、それは私が当初考えていた修道生活とは、あまりにもかけはなれていて、私はいつの間なか、” くれない族 ” になっていました。

「あいさつしてくれない」こんな苦労しているのに「ねぎらってくれない」「わかってくれない」自信を喪失し、修道院を出ようかとまで思いつめた私に、一人のい宣教師が一つの短い英語の詩を、渡してくれました。

その詩の冒頭の一行、それが「置かれたところで咲きなさい」という言葉だったのです。岡山という土地に置かれ、学長という風当りの強い立場に置かれ四苦八苦している私を見るに見かねて、くださったのでしょう。私はかわりました。

そうだ、置かれた場に不平不満を持ち、他人の出方で幸せになったり不幸になったりしては、私は環境の奴隷でしかない。人間と生まれたからには、どんなところに置かれても、そこで環境の主人となり自分の花を咲かせよう、と決心することができました。それは「私が変わる」ことによってのみ可能でした。

いただいた詩は、「置かれたところで咲きなさい」の後に続けて、こう書かれていました。「咲くということは、仕方ないと諦めることではありません。それは自分が笑顔で幸せに生き、周囲の人々も幸せにすることによって、神が、あなたをここにお植えになったのは間違いでなかったと証明することなのです」

私は、かつて” くれない族 ” の自分と訣別(けつべつ)しました。私から先に学生にあいさつし、ほほえみかけ、お礼をいう人になったのです。そうしたら不思議なことに、教職員も学生も皆、明るくなり優しくなってくれました。

「置かれたところで咲く」この生き方は、私だけでなく学生、卒業生たちにも波及しました。結婚しても、就職しても、子育てをしても、「こんなはずじゃなかった」と思うことが次から次に出てきます。そんな時にも、その状況の中で「咲く」努力をしてほしいのです。

どうしても咲かない時もあります。雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくてもいい。その代わりに、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。次に咲く花がより大きく、美しいものとなるために。

渡辺和子著『置かれたところで咲きなさい』より引用

オリンピック金メダリストの高橋尚子さんの高校時代の監督でもあった、 中澤正仁氏が彼女に日頃から伝えていたコトバも思い出す。

何も咲かない寒い日は下へ下へと根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く
有名なコトバだが、一つ一つ丁寧に積み重ねて行けば、必ずどこかのタイミングで突破口は開けてくる。いつも幸福は全力で頑張って手をのばした一歩先にあると言われている。だからこそ、根を貼るときも必要だと教えられる。

Nさんからいただいたコトバの裏に、たくさんの愛があふれていることを感じさせられた日でした。シアワセをありがとうございます(^^)


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