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朝10分から始まる聖典のメッセージ㊻。精神の進歩も他の進歩も同じこと。投稿817日目

朝10分から始まる聖典のメッセージ㊻。精神の進歩も他の進歩も同じこと。投稿817日目

進歩と云うものは最初は極めて徐々に、やがて大きく伸びるようになるものです。これは植物の苗の生長と同じことであります。

魂の進歩や、精神統一力の進歩も、最初は遅々として中々伸びないように思われて、兎もすれば倦怠の念を起こしてくるようですが、其処を乗り切られなければ物になりません。

其処を乗り切ったとき、其の後は実に大きく急速に伸びて来るようになるのであります。すべての力はそれを正しく法則に随って使うことによって増大するのです。

谷口雅春先生著『新版 幸福を招く365章』P48-49

伸びていないように見えていても、毎日善き方向の行動を積み上げていくことで成長しています。途中で辞めたいときもあるでしょう。そういうときは少しペースを落としていいから続けること。人と比べる必要はありません。自分の道は神様とともにある。笑顔で頑張っていきましょう。

さて、今日はどんな喜びに出会えるでしょうか。
今日も明日もこれからも最高の人生を歩んでいきましょう(^^)

毎日の積み上げこそ、成長へ近づく第一歩

朝10分から始まる聖典のメッセージ㉚。先ず神に振り向くこと。投稿801日目

朝10分から始まる聖典のメッセージ㉚。先ず神に振り向くこと。投稿801日目

神に来れとは、神に振り向くことである。境遇の苦しさを訴え、環境の辛きに嘆き、人々の冷たきを悲しむ者は、神に振り向いていないで「苦しみ」に振り向いているのである。

苦しみに振り向く者は苦しみを見出し、悩みに振り向くものは悩みを見出す。暗黒の方向へ振り向いてはならない。光明の方へ振り向くべし。消極的な感情を持ってはならない。

積極的な勇気を喚起すべし。破壊的に物を考えてはならない。建設的に物を考えるべし。争闘の方向に物を考えてはならない。調和の方向へ物を考えるべし。どんな困難の前にも退嬰(たいえい)してはならない。自信力をもって勇敢に立向うべし。

谷口雅春先生著『新版 希望を叶える365章』P292-293

神様に心を振り向ける。それは見えないけれど、素晴らしい存在があると信じ続けて祈ることでもあると感じています。

悪いことが起こると、「あぁ、何て不幸なんだ。神様はやっぱりいないじゃん!!」って考えてしまいがちですが、ちゃんと自分自身の中に既にある。あるのだけれど見えない。見えないからこそ、祈りや神想観を通じて日々神様に照準を合わせていくことが大切であると説かれています。

何事も疑わず、素晴らしきものがあるのだと信じて頑張っていきましょう。
さて、今日はどんな喜びに出会えるでしょうか。
今日も明日もこれからも最高の人生を歩んでいきましょう(^^)

神様の方向に、じ~っと見つめていきましょう


朝10分から始まる聖典のメッセージ㉙。大宇宙銀行に福田を。投稿800日目

朝10分から始まる聖典のメッセージ㉙。大宇宙銀行に福田を。投稿800日目

資本もないし、信用もないと言う人もある。信用は、先ず神に信用せられるようにしなければならない。神をゴマカして、人の前に諂(へつら)って人から信用や好意を掻き集めようと思っても決して富は出てこないのである。

神に信用せられるためには、隠れたる処に、無条件に、人のためになる何らかの愛行又は善行をしなければならない。そのような愛行又は善行が眼には見えない世界に貯えられて「福田」となるのである。

谷口雅春先生著『新版 希望を叶える365章』P283

信用ってお金を積んだり、支払ったりしても作り出すことができない唯一のものですね。一日一日愛行・善行を積み重ねることで得られていきます。

このご文章では、先ず神に信用せられるにしなければならないと説かれています。人に優しくする、何気ない手助け、愛のあるコトバ。ちょっとしたことでも幸福の貯金はできます。

まずは目の前の人から実践してみませんか?

さて、今日はどんな喜びに出会えるでしょうか。
今日も明日もこれからも最高の人生を歩んでいきましょう(^^)

幸せはいつも身近なところからの積み重ね。

『せかいのおはなし』。投稿731日目

『せかいのおはなし』。投稿731日目

先日、一部の方に人気!?のオンラインラジオ『まさはるくんの浄円月な控え室』を配信しました。見てくれましたか??まだの方は、下記のリンクから見てね(^o^)

夜更かし注意

その大人気コーナーである、どんぶり兄さんの歴史コーナー。彼が人類光明化運動のため、一週お休みということに。そこで、チャンスヒッターとして、ボクが『せかいのおはなし』と題して15分お話させていただきました。

せっかくなので、スライドをブログでも公開します。動画が見られない方でも、これを見れば『せかいのおはなし』が楽しめます(^o^)
次回は、どんぶり兄さんが戻ってくると思うので・・・あとは任せた(笑

今日はどんぶり兄さんが人類光明化運動のため、おやすみということで、代わりに私がこの時間を担当します。

日本の歴史は彼の得意分野なので、私は世界の歴史から面白そうなものを少し話そうと思います。時間は15分(延長戦あり)ほどです。どうぞよろしくお願いします。

ちょっと話は変わりますが、私が今話しているコトバ、何でしょうか?日本語で話していますね。何を言っているんだ?ちょっとお疲れか?と思ったそこの皆さん、慌てないで(笑

実は今から話すことに関係しているのです。

皆さん、公用語って聞いたことありますか?
公用語とは、一般的にはこういうものです。

公用語
国、州など、ある集団・共同体内の公の場において用いることを公式に規定した言語を指す。簡単に言えば、法律や規定で公式に認めたコトバです。

イタリア→イタリア語
中国→中国語
ロシア→ロシア語

こんな感じです。

では、皆さんにお聞きします。日本の公用語は、何ですか?

実は、日本語は正式な公用語ではありません。
日本語 – 事実上の公用語。法律では特に明示はしていないが、公文書は日本語で書かれ、学校教育でも日本語を「国語」としている。

実は、日本の公用語は日本語として法律で定められていないのです。えー!!ですよね。そんな日本語を公用語として定めている国が一カ国だけあります。ご存じですか??

それがパラオです。
見えますか?こんなにも遠いんですね。日本からパラオまで3210km 成田空港から直行便で約5時間で行ける距離だそうです。産業は主に観光。温暖な気候と美しい海を求めた日本や台湾などの近隣諸国からの観光客が多く、それらのための大規模なリゾートホテルが数多く運営しています。

元々ドイツの植民地だったパラオは、第一次世界大戦で敗戦し、パリ講和会議によって日本の委任統治領となりました。
委任統治領というのは、国際連盟によって委任された国が国際連盟の監督下において一定の非独立地域を統治する制度である。この対象地域にパラオが入っています。

その後、日本の支援によって、ドイツ統治時代にはほとんど行われなかったインフラの整備に加え、野菜やサトウキビなどの農業の開発や、マグロの缶詰や鰹節などの工場を作り雇用を創出したのです。

普通だったら、敗戦国に教育や雇用創出などは施すことがないのですが、昔の日本人は道徳を学んでおり、どんな相手にも礼節を持って対応していました。

ここから決して目を背向けないで、悲しい歴史のものがたりがここにあります。

日本とパラオの関係を語る上で欠かせないペリリュー島。南北約9km、東西約3kmと小さい島ながら、太平洋戦争中の1944年に起きた「ペリリューの戦い」です。

第二次世界大戦時、日本軍はフィリピンを防衛するために、東洋最大の飛行場をペリリュー島に建設していました。アメリカ軍はフィリピンを攻略するために、日本軍にとって重要な場所であるペリリュー島を攻めることになります。

当初アメリカ軍が最新兵器を投入し、3日以内で終わると考えていたペリリュー島の戦いですが、日本軍が洞窟に身を潜めて持久戦に持ち込みます。

そのとき、日本軍の圧倒的不利な状況の中、パラオ人の中には自ら戦いに志願した者もいましたが、日本軍はこれを認めませんでした。
そして、73日間にも及んだ激闘の末、パラオ人の戦死者を0に食い止めました。しかし、約一万人いた日本兵はほぼ全滅したといわれています。

インフラを整備しパラオの産業発展に貢献した点、大戦時にパラオ国民の死者を一人も出さなかった点などから、パラオ国民には親日感情が生まれ現在に至るとされています。

戦時中に多くの日本人がパラオに移住しましたが、終戦後、パラオに住む多くの日本人が帰還を余儀なくされる中、唯一アンガウル州のみ、一部の日本人が残り居住を続けました。

やがてパラオはアメリカ統治下となりますが、アンガウル州では、それ以降も日本語が共通言語としての役割を果たしています。現在では、日常会話で流ちょうに日本語を話す住民は減ってしまいましたが、憲法には公用語に関する記述が今なお残されています。

日本国憲法には日本語を公用語と制定していないため、世界で唯一日本語が公用語に選ばれているのがアンガウル島ということです。

使われている日本語の一例です。(ここは、上にある控え室の配信と合わせて見ると面白いです。)

パラオの国名はマレー語の「プロウ(島の意)」から。

国旗は青地は太平洋の海の青と主権を表し、黄色の円は夜空に上る満月を描いており、愛と平和と静寂を表すといわれています。

これ真ん中を見てください。円がちょっとだけずれていませんか? これは印刷ミスでは無く、日本に敬意を表すために「あえて中心から少し横に移した場所に円を描いた」という説もあります。

せかいのおはなし、今日のポイントです。

パラオ(アンガウル州)では日本語が公用語
・いつの時代も素晴らしい日本人の存在がある
日本人であることを誇りに思う

日本とパラオの関係はこれからも続きます。

以上で終わります。ご清聴ありがとうございました。

オンラインラジオ『まさはるくんの浄円月な控え室』では、この他にも参加メンバーが様々な話やゆる〜い雑談を行っております。配信は、2週間に1回です。
次回は8月2日(日) 20時からです。皆様のご参加、ご視聴をお待ちしてます(*^^*)


大嫌いな父(後編)。投稿721日目

大嫌いな父(後編)。投稿721日目

前編・中編はこちらから下記よりご覧ください。

浄心行を行うため、大拝殿と呼ばれるところへ行った。
今回は、浄心行用紙5枚を握りしめていた。前回の浄心行でかなり出し切ったので、1枚でも書ければいいなと思っていたが、父のこともあったので、この枚数となった。

確かこの時もご飯を食べずに書きまくった。浄心行をこれから受ける人へ伝えておきます。人の目を気にせず、思い切り時間を忘れて書いてください。これが悩み・苦しみから解き放つ方法です。私はそうやってココロのゴミを出しました。遠慮はいりません。

そして、浄心行が始まる。招神歌(かみよびうた)と呼ばれる、神様をお招きする歌を唱える。この時の先導はY先生。ゆっくりと招神歌を唱えてくださったのだが、声を大きさも相まって、合掌している指先がビリビリと波を打った。

波動がとにかくすごいのだ。本当に一切の悩み・苦しみから解放したいという気持ちが伝わる。気合いをかけ終わると、電気が消え、懺悔の神示を拝読。
そこから、聖経『甘露の法雨』とともに、聖なる火で浄心行用紙を自分の手で燃やす。

聖経を私は一所懸命、声高らかに読誦した。自分は変わりたい!!という気持ちからなのか、父との本当の和解をしたい気持ちからなのか、ひたすら、聖経に書かれているコトバを目で追っては読み上げる。もう、汗だくで相当必死だった。

読み終わると、 再び電気が消えて『 最後の審判についての神示 』を拝読。このときは、やりきった思いでいっぱいだった。
そして、『 久遠いのちの歌 』を拝聴。清らかな歌が流れる。しかし、それとは対照的に私の心は落ち着かなかった。

「もうすぐ終わるのに、今回も父への感謝がどうしてもできない!!こんだけやったのに、やっぱりだめだったか。」
周りからすすり泣く声が聞こえるのに、自分は涙ひとつ出ない。父への感謝といいつつも、やっぱりあの男に感謝なんてできなかったんだ。オレはダメだ。

そんなことを思いながらも、何とかココロを振り向けようとしていた。そうすると、ふいに暗闇の奥から何かが聞こえた。

「・・・ん。」
「・・くん。」

声が聞こえる。だけど、どこから聞こえるか分からない。
「まさくん。」
「え?」

ハッと意識を向けると、子どもの頃のボクがいた。左側に父の姿、右側に母の姿があった。

「まさくん、今日はね・・・。」

見上げてみると、二人がこちらを向いて笑顔で語りかけてくる。
あれ、親父のこんな姿、見たことないぞ。いや、まて、子どもの頃に見た!!
それは、小さい頃に父と母に連れられて、どこかの山へハイキングに出かけたときのことだった。

「お父さん、お母さん、あのね・・あのね。」
嬉しそうに二人の顔を見ながら語りかける私。

両手にはふたりの笑顔でいっぱい。



その光景を見て、もう目から大粒の涙があふれてきた。
嗚咽というレベルではない。過去に封印していた記憶や感情があふれだして、気がつけば、周りの目を憚らず、泣き叫んでいた。

「あー、あーーーー、お父さん、ごめんなさい!!」

そこには笑顔の父と母の姿しかなかった。今まで自分が憎み、苦しみ、怒りの対象としていたあの父はどこにもない。笑顔で語りかけてくれる、優しさに溢れたお父さん。

心の奥底では愛してくださった。
自分のことを考えてくれていた。
それなのに、どうしてコトバに出してくれなかったんだ。
きちんと伝えてくれていたら、お互いに誤解することもなかった。

ようやく本当の父の優しさに気がついた。父と離れてから10年目のことだった。
そして、浄心行は終盤にさしかかり、 ご先祖様・父母への感謝のコトバへと続く。
次回、完結編。

(・・・続く)


大嫌いな父(中編)。投稿720日目

大嫌いな父(中編)。投稿720日目

前編をご覧になっていない方は下記のリンクよりご覧ください。

数年後、私はあることがきっかけでまた父と向き合うことになった。
それが、宇治の一般練成会を受講したことだ。10日間住み込みで真理を学ぶ合宿所。仕事につまずき、初めて行ったときは、いかにも怪しい場所に飛び込んでしまったという印象だった。

ありがたくもないのに、「ありがとうございます。」と言われたり、お肉が一切出ない精進料理のような食事に戸惑ったりした。こんなところに来て一体何が変わるのか?と思っていたが、不思議と5日目くらいには慣れてしまった。

理由は今帰っても仕方がなかったのと、こんな落ちぶれた人間でも受け入れてくれたことが嬉しかったからだ。周りは知らない人ばかりだけど、ボクの話を聞いてくれる。そのことがありがたかった。

10日すぎたころには、既に回復して元気を取り戻していた。しかし、練成会で一つだけできなかったことがあった。父との和解だ。
”和解”とコトバで書けば簡単だが、頭で謝るとか、ごめんなさい!!というレベルではない。真に心の奥底から湧き出てくる絶対的な感謝。これが真の和解。今まで自分の考え方が違っていたと教えられたが、ここに向き合うのがどうしても難しかった。

とはいえ、仕事も休職中していたので、次の月も10日間練成会に行くことに決めた。また新しい発見や出会い、感動が生まれるという期待が心のどこかにあった。

浄心行の講話の際、「憎しみ・怒り・苦しみをありったけ紙に書いてください。もし書いている途中で、ちょっとでも感謝できることがあったら、それも書いてください。書けない場合は、憎い相手の立場に立って、きっとこういう風に考えてくれていたんだろうなーと想像しながら書いても大丈夫です。とにかく書きましょう!!」

ありったけの憎しみをぶつけた。

浄心行とは、心にある苛立ちやモヤモヤ・憎しみを紙に書き出して、お経を唱えながら、紙を燃やして心を浄める神聖な行事のこと。

初回の練成会のときは、浄心行用紙20枚書いた。とにかく腹が立って仕方の無いこと、自分のふがいなさ、憎い相手のことを紙が破れるくらい書いた。もう、燃やす前にすべてスッキリした。

今回も同じように書き始めた。憎い父親のことをこれでもかというくらい罵った。恨みしかない。自分のことを悪く言ってきた、見下してきた、バカにしてきたお前になぜ感謝ができるのか。そのことばかりが頭をよぎっていた。

その時、なぜか初めて父親の立場に立って書いてみようと思った。
講話を聞いてからなのか、分からない。

キツく言ってきていた父親。裏を返せば、自分の成長を見込んでくれたのか。
酔っ払ってグチグチとあたってきたのは、色々と仕事や人間関係の中で寂しさを感じていたのではないか。
もしかしたら、弱い自分に子どもの頃の自分を重ねていたのかもしれない。

不思議と紙にスラスラと想像ではあるが、書ける。今まで想像もしていなかった父の姿が出てきた。父への憎しみは変わることがなかったが、自分の中では一歩前進した。

果たして大嫌いな父に感謝できるのか?
今回も同じ結果に終わってしまうのではないか。
不安と憎き姿の父がいつまでも脳裏をよぎる。

そして、夜の19時40分。
舞台は浄心行へと移動する。
(・・・続く)


信頼残高。投稿716日目

信頼残高。投稿716日目

青年会全国大会が中止となった。という連絡が入ったのは3日前。
世情を見ると、今どんなイベントや状況になっても致し方ないという判断になる。ある意味、どうにもならない部分はある。

問題はここから。推進をさせていただいた人へ中止の連絡を入れないといけない。発表を聞いたときは真正面から受け止めたものの、「さてどうやって伝えようかな。」とそればかりが頭をよぎった。既に2回の延期の連絡をして、3回目の連絡が中止という結末。

「今まで仕事などで参加できなかったけど、オンラインになったこの機会に全国大会を味わってほしいです(*^^*)」
「青年会全国大会って参加したことないと思うけど、何か○○さんにとってプラスになることはあるからさ、一緒に見ようよ。」
「青年会にとっても、保護者の皆さんにとっても素晴らしいものですから、ぜひ参加してもらえるとありがたいです!!」

色々と相手の立場や顔を思い浮かべながら、一人ひとりコトバを変えてお伝えしてきた。今までは参加が難しかった相手も、保護者の皆さんも青年会全国大会を楽しみにしていたと思うが、ある意味ボクを信頼してくれて申し込んでくれた部分もある。それぐらい、信頼・日々の積み重ねを重視してきた。

だから、毎回延期だったり断りの連絡を入れるたびに何倍のフォローもしてきた。生長の家の信徒さんは優しい方も多いが、コトバに出していないだけで、もしかしたら不満を持ってしまった人もいるかもしれない。

スティーブン・コヴィの著「7つの習慣」に、信頼残高という表現がある。我々は、日々のコミュニケーション、人間関係において、その信頼残高を貯めている。

そして、何かしら、その信頼の点で失敗したりすると、それが引き出され、残高が減る。引き出し額が、あまりにも大きいと、いっきにマイナスになる。それが、「信頼を失うのは一瞬」の瞬間である。

インターネット投稿より抜粋

何が怖いかというと、信頼関係を失うのが最も怖い。それをイヤというほど経験してきた。
だから、「ここから、アカウント登録ができるのでお願いします!!」と言っていた3日後に「このようなことになってしまい申し訳ありません。」と伝えないといけないのがどうしても納得いかない。自分たちのこれまでの頑張りを否定されてしまっている気がする。おいおい、それはないだろう。と言いたくもなる。

ただ、金内会長が動画で真っ先にメッセージを伝えてくださった。いつも先頭に立ってすべてを受け止めてくださっているので、応えるしかない。ここでオレがやらなくてどうする。何とか会員さんに状況を伝えて理解をしてもらえるようにもう一度頑張ろうと思う。

そして本日改めて中止のメッセージを送らせていただいた。ここから色々なことも言われるのも覚悟している。無言のメッセージ、既読スルー。様々あるが、またここからしっかりと向き合っていこう。

ちょっと愚痴っぽくなってしまいましたが、気持ちは前向きですからご安心を(*^^*)

信頼は日々の積み重ね。

信仰の力が試される。投稿712日目

信仰の力が試される。投稿712日目

先日、仕事から帰る途中に電話が入った。
詳細は書けないが、 電話口の相手は、切羽詰まっている様子だった。
「困っているので、助けて欲しい。」

電話で話しているときに、気がつけば行動に移していた。 どうすれば良いかと頭の中で考えるというよりも体が勝手に動いていたという感覚。 瞑想しているおかげなのか、神様の導きというものは不思議だ。

毎朝、瞑想が終わると、聖経『甘露の法雨』の冒頭に書かれている聖使命菩薩讚偈と大調和の神示を拝読する。その中に、「・・・命の限り衆生救済に身を挺し、心を致し資を捧げて、人類救済の誠を尽くさんと誓える・・」という一説があります。

平常時のやり取りは、お互いに気持ち的にもゆとりがあって問題ないのだが、緊急時はそうは言っていられない。こういうときこそ、信仰の力が試される。そう感じた。

仕事終わりで疲れがないわけではなかったが、黙々と目の前のことに向かい、久しぶりに無我献身を発揮させてもらった。

後は本人のことを祈る。どれだけボクや周りの方が助言をしても、やるのは本人。普通だったら諦めてしまいそうになるのだが、続けてきたその先に必ず光るものはある。その光景を何回も見てきた。もう信じるしかない。
この気持ち、相手にも分かってもらえる日が来るといいな。

全く変わっていないように見えるかもしれないが、心で認められたものが出てくる世界。人によってスピードは違うが、この経験をもとにその方の素晴らしさが現れてくることを切に願う。

全托あるのみ

ちょっとあいつの家に寄ってみるか。投稿711日目

ちょっとあいつの家に寄ってみるか。投稿711日目

先日、仕事でどうしても外出することがあった。用事が終わった後、ある青年宅を訪問した。ここ最近、連絡が取れなかったので、帰り道に少し寄ることにした。

大抵は連絡してから訪問することが多いが、ここに行くときはアポ無しが多い。居れば話す、居なければ、また来ます。というスタイル。
インターフォンを鳴らす。玄関の奥から足音が聞こえる。良かった、今日は居るな。

何回も訪問していると、不思議とこれだけで居るか居ないか分かる。玄関が開く。「おお、○○くん!!!元気してた??」
「いつも来るときは突然ですね。すぐ分かりましたよ。」と言われながらも、

「いやー、いつも電話してから行こうと思うんだけど、気がついたらお前の家の近くにいるんだよ。」と笑顔で答える。
なかなか電話に出ないのは知っているので、飛び込みで行くしかない。それもお決まりの訪問パターン。

「まぁ、ちょっとノドがかわいたから、お茶を飲みに来たんだよ(笑 それで、最近はどうしているの??」
「ああ、最近はね・・・。」 などと雑談をかわす。

数ヶ月会っていなかったのだが、話す出すと久しぶりの感じがしない。
コロナウイルスの影響もあるので、玄関近くの窓を全開にして、お互いに距離を離しての会話。しかしながら、ココロの距離は以前と変わらない。

「少し寄っただけだから、すぐ帰るわー。」と10分から15分にしようと思っていたが、気がつけば長居してしまった。そういえば彼も話したがりだった。近況と言えば、短期間ながらバイトを始めたそうだ。

「働くのが、めっちゃ楽しいんですよ。」と笑顔で語る彼はイキイキとしていた。
「おお、マジかー。勤労の喜びはいいやろー。バイト代が出たらオレにおごってくれよ。」
「なんでやー(笑 」

こんな冗談も言いつつ、話が弾んだ。今の状況からすれば訪問することは最善ではないかもしれない。でも神様から与えられた、”ふとした”導きは、結果的に一番良いようになっている。と言う。
その導きに素直に従ったとき、そこには素晴らしい喜びが生まれる。わざわざ会いに行ってよかったな。Iくん、時間を作ってくれてありがとう!!

青年の目は、キラキラと輝いていた。

あなたに会えてよかった。投稿710日目

あなたに会えてよかった。投稿710日目

「今日は来てくれてありがとう!! また来てね〜。」
金曜日、教化部に来店があった。午前・午後に一人ずつ。コロナウイルスで自粛ムードだったが、こうやって誰かと対面で話せることはありがたかった。
ここ最近、事務所内も静かなのが当たり前だったが、その時ばかりは賑やかになった。

「今から教化部に行きますねー。」と彼からメールが来たのは11時すぎ。どうやら移動の途中に寄ってくれるとのことだった。めずらしいなと思っていたが、会うのは久しぶりだったので、とても楽しみにしていた。

「最近、どうですか??」色々と近況を聞いていくうちに、少しカベにぶつかっていることが分かった。入って来られた時は、いつもの様子だったが、話していくうちに分かってくることもある。

そのカベは、自分自身ぶつかったこともある経験だったので、自分の体験を交えながらお伝えさせていただいた。
話し終わって出ていくときに、「あー、やっぱり寄って良かったです。ありがとうございます。」と言ってくれたときは、誰かのために役立っているんだなと嬉しさがこみ上げてくる。

とはいえ、夕方くらいに気になったので、フォローメール。
すると電話がかかってきた。電話口の彼は声がとても弾んでいた。
「いや〜思ったよりもうまくいきました。」自分が思っていた以上の行動ができたようで、そこから30分、彼と喜びを分かち合った。元気になって良かったと心の底から感じた。

もうひとりは、対面で会うのは半年ぶり。お母さんの用事で来店したそうで、緊張した様子だったが、ボクと顔を合わせると笑顔で手を振ってくれた。

先週、「連絡できなくてごめんなさい。」とメールが届く。こちらからどうしてる?元気にしてる?と送っていたものの、ずっと反応がなかった。
「最近、携帯を変えたんですよ。だからLINEも以前と変わったかもしれません。」とお母様から聞いていたので、これから連絡取るのが難しいなと思っていた矢先だった。

嬉しさを噛み締めながら、メールをやりとり。後日、電話で話すことになった。久しぶりにボクと話したせいか、最初はしどろもどろの敬語を使っていた。

「あー、○○ちゃん、いつもの感じでしゃべっていいよー。」というと徐々にリラックスして話してくれるようになった。気がつけば2時間もしゃべっていた。ボクとしゃべると、女友達と話ししているような感覚になるらしい。つまり時間を切らないといつまで経っても話し込んでしまう(笑

いつもと変わらない彼女の様子と頑張っている姿がとても伝わってきて、有意義な時間を過ごせた。

話は戻って、彼女との対面。ここでも気がつけば1時間も話してしまった。取り留めのない話をしていただけなのだが、不思議とキャッチボールが続いた。
コロナウイルスが落ち着いたら、会いに行く約束をしていたのだが、思わぬ形で彼女と再会できたのは嬉しかった。

お母さんがお使いを頼んだと言ってくれていたが、きっとボクと話すキッカケを作ってくださったのかもしれない。そう思うと日頃からの交流の大切さが身に染みる。いつもありがとうございます。

1日で2つの喜びに遭遇したのだが、対面で話すってやっぱりいい!!
先日ブログで書いたとおり、温度感・空気感が全然違う。オンラインがどうしても主流になってくるとは思うが、やはりアナログもまだまだ捨てたものではない。
というよりも、これが当たり前の日常と思う。それまでは繋がりを切れてしまわないように頑張っていこう。一日でも早くみんなと会えることを信じて。

いつもと変わらない笑顔との再会