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朝10分から始まる聖典のメッセージ㊻。精神の進歩も他の進歩も同じこと。投稿817日目

朝10分から始まる聖典のメッセージ㊻。精神の進歩も他の進歩も同じこと。投稿817日目

進歩と云うものは最初は極めて徐々に、やがて大きく伸びるようになるものです。これは植物の苗の生長と同じことであります。

魂の進歩や、精神統一力の進歩も、最初は遅々として中々伸びないように思われて、兎もすれば倦怠の念を起こしてくるようですが、其処を乗り切られなければ物になりません。

其処を乗り切ったとき、其の後は実に大きく急速に伸びて来るようになるのであります。すべての力はそれを正しく法則に随って使うことによって増大するのです。

谷口雅春先生著『新版 幸福を招く365章』P48-49

伸びていないように見えていても、毎日善き方向の行動を積み上げていくことで成長しています。途中で辞めたいときもあるでしょう。そういうときは少しペースを落としていいから続けること。人と比べる必要はありません。自分の道は神様とともにある。笑顔で頑張っていきましょう。

さて、今日はどんな喜びに出会えるでしょうか。
今日も明日もこれからも最高の人生を歩んでいきましょう(^^)

毎日の積み上げこそ、成長へ近づく第一歩

朝10分から始まる聖典のメッセージ㉚。先ず神に振り向くこと。投稿801日目

朝10分から始まる聖典のメッセージ㉚。先ず神に振り向くこと。投稿801日目

神に来れとは、神に振り向くことである。境遇の苦しさを訴え、環境の辛きに嘆き、人々の冷たきを悲しむ者は、神に振り向いていないで「苦しみ」に振り向いているのである。

苦しみに振り向く者は苦しみを見出し、悩みに振り向くものは悩みを見出す。暗黒の方向へ振り向いてはならない。光明の方へ振り向くべし。消極的な感情を持ってはならない。

積極的な勇気を喚起すべし。破壊的に物を考えてはならない。建設的に物を考えるべし。争闘の方向に物を考えてはならない。調和の方向へ物を考えるべし。どんな困難の前にも退嬰(たいえい)してはならない。自信力をもって勇敢に立向うべし。

谷口雅春先生著『新版 希望を叶える365章』P292-293

神様に心を振り向ける。それは見えないけれど、素晴らしい存在があると信じ続けて祈ることでもあると感じています。

悪いことが起こると、「あぁ、何て不幸なんだ。神様はやっぱりいないじゃん!!」って考えてしまいがちですが、ちゃんと自分自身の中に既にある。あるのだけれど見えない。見えないからこそ、祈りや神想観を通じて日々神様に照準を合わせていくことが大切であると説かれています。

何事も疑わず、素晴らしきものがあるのだと信じて頑張っていきましょう。
さて、今日はどんな喜びに出会えるでしょうか。
今日も明日もこれからも最高の人生を歩んでいきましょう(^^)

神様の方向に、じ~っと見つめていきましょう


朝10分から始まる聖典のメッセージ㉙。大宇宙銀行に福田を。投稿800日目

朝10分から始まる聖典のメッセージ㉙。大宇宙銀行に福田を。投稿800日目

資本もないし、信用もないと言う人もある。信用は、先ず神に信用せられるようにしなければならない。神をゴマカして、人の前に諂(へつら)って人から信用や好意を掻き集めようと思っても決して富は出てこないのである。

神に信用せられるためには、隠れたる処に、無条件に、人のためになる何らかの愛行又は善行をしなければならない。そのような愛行又は善行が眼には見えない世界に貯えられて「福田」となるのである。

谷口雅春先生著『新版 希望を叶える365章』P283

信用ってお金を積んだり、支払ったりしても作り出すことができない唯一のものですね。一日一日愛行・善行を積み重ねることで得られていきます。

このご文章では、先ず神に信用せられるにしなければならないと説かれています。人に優しくする、何気ない手助け、愛のあるコトバ。ちょっとしたことでも幸福の貯金はできます。

まずは目の前の人から実践してみませんか?

さて、今日はどんな喜びに出会えるでしょうか。
今日も明日もこれからも最高の人生を歩んでいきましょう(^^)

幸せはいつも身近なところからの積み重ね。

置かれたところで咲きなさい。投稿724日目

置かれたところで咲きなさい。投稿724日目

先日、自分の気持ちがぐーっと落ち込んだときに、二人の方からLINEでメッセージをいただいた。ご本人にはお礼を伝えさせていただいたのだが、これが心に響くコトバだったので、紹介したいと思います。

一人目の方からいただいたLINEに書かれていたのが『置かれたところで咲きなさい』。ノートルダム清心学園の理事長でもある、渡辺和子氏の著書。

初めての土地、思いがけない役職、未経験者の事柄の連続、それは私が当初考えていた修道生活とは、あまりにもかけはなれていて、私はいつの間なか、” くれない族 ” になっていました。

「あいさつしてくれない」こんな苦労しているのに「ねぎらってくれない」「わかってくれない」自信を喪失し、修道院を出ようかとまで思いつめた私に、一人のい宣教師が一つの短い英語の詩を、渡してくれました。

その詩の冒頭の一行、それが「置かれたところで咲きなさい」という言葉だったのです。岡山という土地に置かれ、学長という風当りの強い立場に置かれ四苦八苦している私を見るに見かねて、くださったのでしょう。私はかわりました。

そうだ、置かれた場に不平不満を持ち、他人の出方で幸せになったり不幸になったりしては、私は環境の奴隷でしかない。人間と生まれたからには、どんなところに置かれても、そこで環境の主人となり自分の花を咲かせよう、と決心することができました。それは「私が変わる」ことによってのみ可能でした。

いただいた詩は、「置かれたところで咲きなさい」の後に続けて、こう書かれていました。「咲くということは、仕方ないと諦めることではありません。それは自分が笑顔で幸せに生き、周囲の人々も幸せにすることによって、神が、あなたをここにお植えになったのは間違いでなかったと証明することなのです」

私は、かつて” くれない族 ” の自分と訣別(けつべつ)しました。私から先に学生にあいさつし、ほほえみかけ、お礼をいう人になったのです。そうしたら不思議なことに、教職員も学生も皆、明るくなり優しくなってくれました。

「置かれたところで咲く」この生き方は、私だけでなく学生、卒業生たちにも波及しました。結婚しても、就職しても、子育てをしても、「こんなはずじゃなかった」と思うことが次から次に出てきます。そんな時にも、その状況の中で「咲く」努力をしてほしいのです。

どうしても咲かない時もあります。雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくてもいい。その代わりに、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。次に咲く花がより大きく、美しいものとなるために。

渡辺和子著『置かれたところで咲きなさい』より引用

オリンピック金メダリストの高橋尚子さんの高校時代の監督でもあった、 中澤正仁氏が彼女に日頃から伝えていたコトバも思い出す。

何も咲かない寒い日は下へ下へと根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く
有名なコトバだが、一つ一つ丁寧に積み重ねて行けば、必ずどこかのタイミングで突破口は開けてくる。いつも幸福は全力で頑張って手をのばした一歩先にあると言われている。だからこそ、根を貼るときも必要だと教えられる。

Nさんからいただいたコトバの裏に、たくさんの愛があふれていることを感じさせられた日でした。シアワセをありがとうございます(^^)


大嫌いな父(前編)。投稿719日目

大嫌いな父(前編)。投稿719日目

今日、6月21日は父の日。
ということをすっかりと忘れていた。

残念ながら父がどこでどう過ごしているのかは分からない。生きているかもしれないし、死んでいるかもしれない。感謝しようと心の底から思えたときは、もう会うことができなくなってしまった。

私の父は、自分で言うのも何だが頭がものすごく良い。某関西の有名な国立大学に入った。子どもの頃から神童と呼ばれて、勉強も良くできたようだ。一を聞いて十を知る。という性格で人の言ったことをすぐに理解した。

ただ、息子から見たら恐怖の存在でしかなかった。頭の回転が速い分、こちらがちょっとでも間違ったことを言うと厳しく言い返された。テストの点が悪いものなら、叩かれたり殴られたりもした。心のどこかで父への劣等感を感じていた。

ココロが休まる日などなかった日々。

そんな家庭環境で育ったせいか、勉強に関してはちょっと頑張れば1番を取ることは難しくなかった。頑張れば頑張った分、誰かがほめてくれる。認めてくれる。その優越感に浸るのがとても嬉しかった。でも、父は成績が1番になっても「そんなものは誰でも取れる!!!」と頭ごなしに否定された。

定期テストでは実力が発揮されるものの、実力テストでは全く成績が上がらず、受験を失敗。浪人することも許されなかったので、泣く泣く地元の専門学校に入学。卒業と同時に営業職となり、父は私のもとから姿を消した。

父が出ていった、家は快適そのもの。もう誰にも怒られない。バカにされない。自由を勝ち得た気持ちで満たされた。そりゃそうだ。お前が今まで自由気ままにやってきた代償がそっくりと返ってきたんだ。

もう二度と会うことは無いと思っていたが、私の誕生日になると電話がかかってきた。相手は憎き父。

「もしもし・・。誰だか分かるか?」
「何のようだ。お前に話すことなんてない!!二度と電話してくるなって言ったろ。かけてくんな。」
「お母さんに迷惑をかけてすまない。元気にしてるか?」
「うるさい!!」

時間にして、1分もなかっただろう。すぐに切った。その声を聞くと虫酸が走ったし、なぜ今頃になって電話をしてくるのか分からなかった。そんなことが何度も続く。

「会いに来てくれないか?」
「パソコンの部品があるのだけど、要らないか?」
「お前に会いたい。」

ムカついたが、日に日に弱くなる声に一度だけ会ってみようと訪ねて見たことがあった。しかし、そこでも口論になり、すぐに父の住んでいるところを出てしまった。

「あいつは一体何をしたかったんだ。」
会うたびに怒りが募り、憎しみが増し、父親の存在を否定したくなるほどだった。もう強かった父はどこにも存在しない。ただの哀れな男がそこにいた。

こうして、父と本当の意味で決別し、前に向かって進んだ私。
すっかりと父の存在など忘れてしまい、仕事に邁進していた。
それから数年後、私はあることがきっかけでまた父と向き合うことになった。
(・・・続く)


ココロの温度感。投稿717日目

ココロの温度感。投稿717日目

どうやらここ1週間は天気がよくなるとのことで、大変ありがたい。
今週は、オンラインで地元誌友会と30代誌友会、控え室の配信で怒濤の日々を迎える。その合間に対面訪問もいれているので、リアルとオンラインの二足のわらじ状態。ありがたいことです。

昨日、ある方とお話をした。最近でこそ笑顔で話せるようになったが、去年はどちらかと言えば、その方に不満を持たれることが多かった。話すたびに緊張感があって、どこか構えてしまうことがあった。

人間、好きな人と話していたほうが楽だし、あまり色々と言われると、本当にまた何か言われるんじゃないかなーと敬遠しがちに。でも、向き合わざるを得ないときも時にはある。

電話越しに話していても、温かみを感じるようになった。何というか、温度感、ココロの循環が良くなったというべきか。その人自身のことを分かろうとしていなかったときは、何でずっとそんな無茶なことを言うんだ。と頭を抱えることもあった。

これが近頃は無くなってきた。コトバはまとまらなくても、自分なりに目の前のことに対して、真剣に向き合ってくれているんだなと感じることができたからだ。

「まっさーさんも最近変わってきたよー。明るくなった(笑」
「え?ホント?○○さんも雰囲気変わったよ。前はこんなに話せなかったもん」

自分の中で青年会活動でもがいていた時期があって、相手と向き合うときの態度もヤバかった。相手に求めてしまう、自分の思い描いた通りにならない。なんでなんだ!!と憤りを感じて、ココロの奥底に怒りを何度も押し込んだ。

それがちょっとずつ周りの人の交流を深めていくなかで、ボク自身も変わっていったようだ。自分自身が変化には気がつきにくいが、周りからそう言ってもらえると、少し自信がつく。

オレも少しはイイ男になれたかな?
昨日かけてもらった嬉しいコトバを胸に秘め、今週も頑張っていくべ。


『さんらじ』の魅力。投稿714日目

『さんらじ』の魅力。投稿714日目

毎朝5時45分から15分間配信しているラジオがある。その名は『 さんらじ 』。
決してサンデーラジオモーニングの略ではない。何の略かを聞こうと思って忘れてしまった(笑

朝から起電力を高めて元気に出発するということを狙いとしている。
元々は朝のあいさつ運動から始まった。ZOOMの部屋におはよう!!と挨拶を交わして出発する。それだけで一日のスタートは違ってくる。
色々な方が挨拶をしたり、時には語り場のようになって交流を深めたりとしていくなかで、オンラインでの配信も始まったようだ。

その、『さんらじ』に日曜日の朝、参戦した。決して、まさはるくんのオンラインラジオのPRや乗っ取りなどは企てていないことを先に伝えておく(笑

Tさんという青年会への想いがアツい方がいるのだが、その方から、一度参加して欲しいとラブコールをいただいた。むしろ、まさはるくんのオンラインラジオに誘ってみたら、逆に誘われたと書いた方がいいかもしれない。

迷った。さんらじに自分がついていけるか不安もあったが、Tさんからお声がかかったら、断る理由がない。「分かりました!!明日にでも行きますよ。」

日曜日の5時10分。いつものように瞑想をスタート。5時40分に参加すればいいので、時間的にはかなり余裕があった。しかし、そんな日に限って瞑想が深いところまで浸透していき、気がつけば5時32分!!

やべー、遅刻したらどうしよう。慌てて聖使命菩薩と大調和の神示をかなり早口で唱えた。もちろんココロは穏やかに。人間やればできるもので、開始3分前にはパソコンの前に座ることができた。

ここまでさんらじの魅力を一つも書いていないのでそろそろ書こう(笑
誘ってくれたTさんが既に入っていて、「来てくれてありがとうございます。」と言ってくれたときは、やっぱり嬉しかった。

他の参加者にはサプライズ的になってしまったが、え?今日はどうしたの?とか何でいるの?とイジられることもなく、普通に歓迎された(笑
うちのラジオのノリと違うことをすっかりと忘れていた。いかんいかん。

今日はフリーテーマということで、潮流ねっとわーくでの講話の話になった。結構、みんな真剣に話していた。ゆるやかな朝の時間だったが、この15分という短い中にも真理とそれぞれの想いが交錯していた。

配信が終わったものと生で参加するのでは全然違う。後日配信ものを聞くと、みんな朝が弱くてテンションが低いかなとちょっと思っていたが、実際に参加してみると、一人一人が丁寧に考えてメッセージを発していた。

ボクの場合、会話が止まったりすると、周りを見て、場を盛りたてて行こうとすぐ考えてしまうが、『さんらじ』は違う。お互いがお互いを思いやり、短い時間の中でこそ出せる魅力で溢れていた。

参加者全員が思いっきりしゃべりたくなるのをガマンして、主体的に話を聞こうと努めていた。さしずめ、誌友会終了後の座談会のような雰囲気。適度な距離感と温度感。これを毎日行っているのだから、頭が下がる。

そんな日曜日にお会いした皆様への感謝のメッセージで締めようと思います。

男性のTさん、お声かけしてくれてありがとうございます。次はボクと1対1でサシラジしましょ(笑

女性のTさん、近々行きますと言って、本当は次の日行くのが決まっていました(笑 内緒にしていて、ごめんね~。

Yさんのトーク、キレがあって結構好きなので、また楽しみにしてます。誌友会もよろしくです!!

そして、Uさん。毎日『さんらじ』の配信、ご充実様です。噂のさんらじに参加しましたが、お行儀良くできていましたかね?(笑
ってのは冗談で、とても楽しくおしゃべりできました。またサプライズで行きます。これからも続けてくださいね。

Aさん・Tさん、喋られなかった。すまぬ(笑
また今度お相手してくださいませ~<(_ _)>

結論『さんらじ』は聞いてみても面白いが、参加すると面白いし、自分にとってもプラスになります。百聞は一見にしかず。飛び込めば、新しい世界が見えてくる。 さぁ、5時45分は『さんらじ』へGO~!!

タメになる15分

信仰の力が試される。投稿712日目

信仰の力が試される。投稿712日目

先日、仕事から帰る途中に電話が入った。
詳細は書けないが、 電話口の相手は、切羽詰まっている様子だった。
「困っているので、助けて欲しい。」

電話で話しているときに、気がつけば行動に移していた。 どうすれば良いかと頭の中で考えるというよりも体が勝手に動いていたという感覚。 瞑想しているおかげなのか、神様の導きというものは不思議だ。

毎朝、瞑想が終わると、聖経『甘露の法雨』の冒頭に書かれている聖使命菩薩讚偈と大調和の神示を拝読する。その中に、「・・・命の限り衆生救済に身を挺し、心を致し資を捧げて、人類救済の誠を尽くさんと誓える・・」という一説があります。

平常時のやり取りは、お互いに気持ち的にもゆとりがあって問題ないのだが、緊急時はそうは言っていられない。こういうときこそ、信仰の力が試される。そう感じた。

仕事終わりで疲れがないわけではなかったが、黙々と目の前のことに向かい、久しぶりに無我献身を発揮させてもらった。

後は本人のことを祈る。どれだけボクや周りの方が助言をしても、やるのは本人。普通だったら諦めてしまいそうになるのだが、続けてきたその先に必ず光るものはある。その光景を何回も見てきた。もう信じるしかない。
この気持ち、相手にも分かってもらえる日が来るといいな。

全く変わっていないように見えるかもしれないが、心で認められたものが出てくる世界。人によってスピードは違うが、この経験をもとにその方の素晴らしさが現れてくることを切に願う。

全托あるのみ

あなたに会えてよかった。投稿710日目

あなたに会えてよかった。投稿710日目

「今日は来てくれてありがとう!! また来てね〜。」
金曜日、教化部に来店があった。午前・午後に一人ずつ。コロナウイルスで自粛ムードだったが、こうやって誰かと対面で話せることはありがたかった。
ここ最近、事務所内も静かなのが当たり前だったが、その時ばかりは賑やかになった。

「今から教化部に行きますねー。」と彼からメールが来たのは11時すぎ。どうやら移動の途中に寄ってくれるとのことだった。めずらしいなと思っていたが、会うのは久しぶりだったので、とても楽しみにしていた。

「最近、どうですか??」色々と近況を聞いていくうちに、少しカベにぶつかっていることが分かった。入って来られた時は、いつもの様子だったが、話していくうちに分かってくることもある。

そのカベは、自分自身ぶつかったこともある経験だったので、自分の体験を交えながらお伝えさせていただいた。
話し終わって出ていくときに、「あー、やっぱり寄って良かったです。ありがとうございます。」と言ってくれたときは、誰かのために役立っているんだなと嬉しさがこみ上げてくる。

とはいえ、夕方くらいに気になったので、フォローメール。
すると電話がかかってきた。電話口の彼は声がとても弾んでいた。
「いや〜思ったよりもうまくいきました。」自分が思っていた以上の行動ができたようで、そこから30分、彼と喜びを分かち合った。元気になって良かったと心の底から感じた。

もうひとりは、対面で会うのは半年ぶり。お母さんの用事で来店したそうで、緊張した様子だったが、ボクと顔を合わせると笑顔で手を振ってくれた。

先週、「連絡できなくてごめんなさい。」とメールが届く。こちらからどうしてる?元気にしてる?と送っていたものの、ずっと反応がなかった。
「最近、携帯を変えたんですよ。だからLINEも以前と変わったかもしれません。」とお母様から聞いていたので、これから連絡取るのが難しいなと思っていた矢先だった。

嬉しさを噛み締めながら、メールをやりとり。後日、電話で話すことになった。久しぶりにボクと話したせいか、最初はしどろもどろの敬語を使っていた。

「あー、○○ちゃん、いつもの感じでしゃべっていいよー。」というと徐々にリラックスして話してくれるようになった。気がつけば2時間もしゃべっていた。ボクとしゃべると、女友達と話ししているような感覚になるらしい。つまり時間を切らないといつまで経っても話し込んでしまう(笑

いつもと変わらない彼女の様子と頑張っている姿がとても伝わってきて、有意義な時間を過ごせた。

話は戻って、彼女との対面。ここでも気がつけば1時間も話してしまった。取り留めのない話をしていただけなのだが、不思議とキャッチボールが続いた。
コロナウイルスが落ち着いたら、会いに行く約束をしていたのだが、思わぬ形で彼女と再会できたのは嬉しかった。

お母さんがお使いを頼んだと言ってくれていたが、きっとボクと話すキッカケを作ってくださったのかもしれない。そう思うと日頃からの交流の大切さが身に染みる。いつもありがとうございます。

1日で2つの喜びに遭遇したのだが、対面で話すってやっぱりいい!!
先日ブログで書いたとおり、温度感・空気感が全然違う。オンラインがどうしても主流になってくるとは思うが、やはりアナログもまだまだ捨てたものではない。
というよりも、これが当たり前の日常と思う。それまでは繋がりを切れてしまわないように頑張っていこう。一日でも早くみんなと会えることを信じて。

いつもと変わらない笑顔との再会

口・耳・目・手足、そして心。投稿708日目

口・耳・目・手足、そして心。投稿708日目

先日、中高生の保護者から嬉しいメールが届いた。
「今月の封筒のコトバも素敵でした。いつも、娘と楽しみにしてます。」

毎月、青年会事務局から送っているお知らせ。封筒の左側にはいつも前向きになれるようなコトバを書いている。

封筒に毎月書く、善いコトバ。

「口 」 は 、 人 を 励 ま す 言 葉 や 感 謝 の 言 葉 を 言 う た め に 使 お う ! 「 耳 」 は 、 人 の 言 葉 を 最 後 ま で 聴 い て あ げ る た め に 使 お う !
「 目 」 は 、 人 の よ い と こ ろ を 見 る た め に 使 お う !
「 手 足 」 は 、 人 を 助 け る た め に 使 お う !
「 心 」 は 、 人 の 痛 み が わ か る た め に 使 お う !

元中学校体育教師 腰塚 勇人氏 『5つの誓い』より

郵便物を送ってもなかなか開けてもらえない実情があります。
事務局を経験している皆さんならこの気持ちは分かってもらえるかと思います。
そこで始めたのが、封筒の余っている部分を利用しようと考えた。

ただ、続けていると、これを読んでもらえているのか?送っても意味がないんじゃないか?という気持ちが芽生えるときがある。そんな時にこうしたメールをもらえるとココロがほっと温かくなる。

毎月どんなことを伝えようかと探したり、考えたりするのは時間がかかります。しかしながら、コトバの使い方は無限大なので、その時その時出会ったステキなコトバをこれからもお届けしたいと思う。

誰かのココロに寄り添えるように。