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大嫌いな父(前編)。投稿719日目

大嫌いな父(前編)。投稿719日目

今日、6月21日は父の日。
ということをすっかりと忘れていた。

残念ながら父がどこでどう過ごしているのかは分からない。生きているかもしれないし、死んでいるかもしれない。感謝しようと心の底から思えたときは、もう会うことができなくなってしまった。

私の父は、自分で言うのも何だが頭がものすごく良い。某関西の有名な国立大学に入った。子どもの頃から神童と呼ばれて、勉強も良くできたようだ。一を聞いて十を知る。という性格で人の言ったことをすぐに理解した。

ただ、息子から見たら恐怖の存在でしかなかった。頭の回転が速い分、こちらがちょっとでも間違ったことを言うと厳しく言い返された。テストの点が悪いものなら、叩かれたり殴られたりもした。心のどこかで父への劣等感を感じていた。

ココロが休まる日などなかった日々。

そんな家庭環境で育ったせいか、勉強に関してはちょっと頑張れば1番を取ることは難しくなかった。頑張れば頑張った分、誰かがほめてくれる。認めてくれる。その優越感に浸るのがとても嬉しかった。でも、父は成績が1番になっても「そんなものは誰でも取れる!!!」と頭ごなしに否定された。

定期テストでは実力が発揮されるものの、実力テストでは全く成績が上がらず、受験を失敗。浪人することも許されなかったので、泣く泣く地元の専門学校に入学。卒業と同時に営業職となり、父は私のもとから姿を消した。

父が出ていった、家は快適そのもの。もう誰にも怒られない。バカにされない。自由を勝ち得た気持ちで満たされた。そりゃそうだ。お前が今まで自由気ままにやってきた代償がそっくりと返ってきたんだ。

もう二度と会うことは無いと思っていたが、私の誕生日になると電話がかかってきた。相手は憎き父。

「もしもし・・。誰だか分かるか?」
「何のようだ。お前に話すことなんてない!!二度と電話してくるなって言ったろ。かけてくんな。」
「お母さんに迷惑をかけてすまない。元気にしてるか?」
「うるさい!!」

時間にして、1分もなかっただろう。すぐに切った。その声を聞くと虫酸が走ったし、なぜ今頃になって電話をしてくるのか分からなかった。そんなことが何度も続く。

「会いに来てくれないか?」
「パソコンの部品があるのだけど、要らないか?」
「お前に会いたい。」

ムカついたが、日に日に弱くなる声に一度だけ会ってみようと訪ねて見たことがあった。しかし、そこでも口論になり、すぐに父の住んでいるところを出てしまった。

「あいつは一体何をしたかったんだ。」
会うたびに怒りが募り、憎しみが増し、父親の存在を否定したくなるほどだった。もう強かった父はどこにも存在しない。ただの哀れな男がそこにいた。

こうして、父と本当の意味で決別し、前に向かって進んだ私。
すっかりと父の存在など忘れてしまい、仕事に邁進していた。
それから数年後、私はあることがきっかけでまた父と向き合うことになった。
(・・・続く)


口・耳・目・手足、そして心。投稿708日目

口・耳・目・手足、そして心。投稿708日目

先日、中高生の保護者から嬉しいメールが届いた。
「今月の封筒のコトバも素敵でした。いつも、娘と楽しみにしてます。」

毎月、青年会事務局から送っているお知らせ。封筒の左側にはいつも前向きになれるようなコトバを書いている。

封筒に毎月書く、善いコトバ。

「口 」 は 、 人 を 励 ま す 言 葉 や 感 謝 の 言 葉 を 言 う た め に 使 お う ! 「 耳 」 は 、 人 の 言 葉 を 最 後 ま で 聴 い て あ げ る た め に 使 お う !
「 目 」 は 、 人 の よ い と こ ろ を 見 る た め に 使 お う !
「 手 足 」 は 、 人 を 助 け る た め に 使 お う !
「 心 」 は 、 人 の 痛 み が わ か る た め に 使 お う !

元中学校体育教師 腰塚 勇人氏 『5つの誓い』より

郵便物を送ってもなかなか開けてもらえない実情があります。
事務局を経験している皆さんならこの気持ちは分かってもらえるかと思います。
そこで始めたのが、封筒の余っている部分を利用しようと考えた。

ただ、続けていると、これを読んでもらえているのか?送っても意味がないんじゃないか?という気持ちが芽生えるときがある。そんな時にこうしたメールをもらえるとココロがほっと温かくなる。

毎月どんなことを伝えようかと探したり、考えたりするのは時間がかかります。しかしながら、コトバの使い方は無限大なので、その時その時出会ったステキなコトバをこれからもお届けしたいと思う。

誰かのココロに寄り添えるように。


ありがとう、和子さん。投稿689日目

ありがとう、和子さん。投稿689日目

朝、周りが誰もいないときに静かにブログを書く。この時間が一番集中できる。
色々と思いを巡らせていると、ある一人の方にたどり着いた。書こうかどうか迷ったが、思い立ったが吉日。さっそく筆を進めよう。

白鳩会連合会長でもある和子さん。ボクは彼女が副会長のときからお世話になっていた。第一印象はとにかく明るい方。

「秋元くん!!元気にしているかしら?」
「はい、いつも通りですよ~。」
「元気があっていいわねー。これからも青年会、頑張ってちょうだいね!!」

誰にでも分け隔てなく声をかけていて、 彼女の優しさも相まってか細やかな気遣いがとても素晴らしかった。

一度だけ、休みを取ってT地区の練成会に参加したことがあった。
ボクの参加がとても珍しかったこともあり、色んな人から声をかけていただいた。特に和子さんの時は、がっちり握手されて「よく遠くからきてくれたね~。ありがとうね~。」と子どものような無邪気な表情で歓迎してくれた。

「どうせなら、3日間泊まっていってもいいわよ。あなたなら大歓迎よ(^^)」
「うおお、マジですか。教化部休むように今から電話しようかな(笑」
今、思い出しても昨日のことのように蘇る。

何かのイベントで足が不自由な方が歩いていた。そんなとき、和子さんはそっと寄り添って、明るいコトバをかけていた。連合会長となっても、腰が低い。どこまでも愛を出されているなと頭が上がらなかった。

青年会に対しても協力的で多少無理なお願いも快く聞いてくださった。組織対組織ではなく、一人の人間として心温かく受け入れてくださったことが何よりも嬉しかった。

ただ、昨年の12月のときに、中高生練成会の出講のお願いをしたときに、
いつもなら、前向きに考えてくださるのに、何故か「今回だけはごめんね~。」と頑なに断られた。

「どうしてもダメですか~?」といつもの軽い感じで聞いてみても
「ごめんなさい。どうしてもダメなの。また次の機会でね。」と神妙な面持ちで静かにコトバを呟いた。

中高生に向けて話すのがちょっと苦手だったのかもしれない。何かおかしいなと感じつつも「分かりました~。今度はお願いしますね~。」と笑顔でお返事した。

その後、体調不良で1月・2月と療養されることを知らされた。
特に、昨年あたりから祝福訪問でたくさんのところを回られていたので、疲れがたまっていたのかなと感じていた。早く元気になって、またいつもの明るい表情で声をかけてほしい。そう願っていた。

だが残念なことに和子さんは3月1日に天国へと旅立っていった。 声をかけたときは、もうかなり厳しい状態だったのかもしれない。
その知らせを教化部で聞いたとき、喪失感でいっぱいだった。

生長の家立教記念日ということもあり、何か運命的なものを感じた。本当にたくさんの信徒さんから愛されていた和子さん。霊界へ行っても、明るく生長の家の信仰をされていることでしょう。

濱山先生が亡くなったときもそうだが、いつもこのコトバを思い出す。
「その人についていくのはなく、生長の家の御教えについていく。」

悲しみの先には、神様が温かく見守ってくださっている。
そう信じて、これからも頑張っていこう。和子さん、今までありがとうございました<(_ _)>


あー、もしもし~青年会の秋元です。投稿688日目

あー、もしもし~青年会の秋元です。投稿688日目

テレワークになってから、2週間近くが過ぎた。
会えなくなった代わりに電話や画面越しに話す機会が多くなった。
青年会全国大会の申込〆切も近いので、合わせて行っている。

声をかけているうちに、悩みや愚痴などの話し相手になったりすることも。人と会えない寂しさが垣間見えたりする。
誰かとココロを通わせたい気持ちが強いのだろう。そんなボクでも聞くくらいはできる。「聞いてもらえて良かったです」とか「ストレス解消しました」と言わうコトバを聞くと、役に立っているようで嬉しくなる。

先日も、Sさんという方と電話で話す機会があった。いつものように話していると耳を疑うコトバがあった。 「聞いてください!! ここ1ヶ月半、全然飲んでいないんですよ。」

今までSさんは、お酒を飲むイメージが強かった。酒豪とかではないのだが、人見知りをする性格で、普段はすごく大人しい。 だから少し飲むと陽気に話せる。
Sさんと電話で話すときは、そういうリラックスタイムの時が多かった。

「え?マジ?急にどうしたの。Sさんは飲むイメージが強かったんだけど(笑 いよいよ禁酒?」と冗談混じりに話すと
「いや~、外出自粛で外に出ることもあまりなくなってしまって、気がついたらお店も行かなくなりました。気がつけば飲まなくなってしまいました。」
「自宅でも??」
「はい。全く。不思議ですよね?どうしたんだろう。」

コロナウイルスの影響だからか、健康に気をつけているわけではないが、結果的には、すごく健康的な生活になったそうだ。カラダの調子もいいらしい。
体調が悪くなりがちな人が多いなかで、こういう報告は喜ばしいこと。

「でもさ~、そうすると飲みに行く機会が少なくなるので、残念だな。」
「いや、まったく嫌いになったわけではないので、これが落ち着いたらいつでも行けますよ。また誘ってくださいませ(^^)」
「ハハハ、なんだそりゃ。いいよ、また行こう(笑」

信頼関係ができたおかげか、こういう軽口もたたけるようになった。以前のSさんなら、こんな風には絶対に言えなかった。人って見た目で判断しそうになるけど、それは仮の姿。継続的に話していくことで、隠れていた素晴らしい内面が現れてくる。

「あ、そうだ。青年会全国大会なんだけど、今回オンライン配信になったんですよ。期間限定だけど良かったらぜひ参加してほしいです!! いつも仕事で見られなかったでしょ?」
「そうですね。今回は大阪に行かないんですか?」
「コロナウイルスの影響で集まれなくなったんだ。なので自宅でまったり見られるし、ZOOM使ってみんなで見られるようにも考えているので。いかがですか??」
「私にとってはとてもありがたいです!!ぜひ申込させてもらいますね(^^)」

Sさんは普段は仕事が忙しく、平日休みなので最近は青年会全国大会に参加が難しかった。いつも「仕事が・・。」と言って断られることが多かった。 今回はこんなにもお誘いしやすくなった。一人でも一緒に見られるのは嬉しい限り。

こういうとき日頃の付き合い、交流がとても大切だと改めて実感しました。
Sさん、参加決意してくれてありがとう!!

あー、もしもし~。青年会事務局の秋元です(^^)

忘れていた感謝。投稿623日目

忘れていた感謝。投稿623日目

感謝シリーズも15日目。改めて”感謝”の意味を調べてみる。
「ありがたく思って礼をいうこと。心にありがたく感ずること。 」
そのことを強く思わせる出来事があった。

昨日、30代のための青年誌友会を開催。講話の途中で、ある食品を製造・取り扱いをしている老舗会社のお話があった。来てくださった講師がそこの食品を長年愛用しているとのこと。「知っている方はいるかしら??」と聞かれ思わず、「もしかして、○○市にある、S社ですか??」と答えた。

たまたま知っていたのではない。その時は何も触れなかったが、実はボクにとっては因縁がある会社だった。そこで起きた出来事により、前の職場では左遷。結果的に仕事を辞めてしまうことになった遠因でもある。ただ大きな誤解をしてほしくないのは、Sは素晴らしい会社。左遷・仕事を辞めることになったのは、すべて自分が招いてしまったことと捉えてほしい。

S社は社員教育が徹底されている。会社の至る場所に、”ありがとうございます”と書かれているのが特徴的。従業員が立ち止まって、「ありがとうございます」と会釈をしてくれる。とても驚いたことを今でも覚えている。

創業者が生長の家の信仰でもされているのか?と思うくらい、会長・社長さんがいつも笑顔でニコニコされていると講師の先生は話してくれた。その姿勢はボクが担当していたときと全く変わっていない。営業マンをやっていた当時、間接的ではあるが、販売店を通してS社と取引を始めた。

燃料転換の大きな仕事をするなかで、自分の知識・経験不足からS社に大迷惑をかけてしまったことがあった。どうしようもできず、それをひた隠しにしていた。もちろん悪いことはいつまで経っても隠し通せるはずもなく、バレるのは時間の問題。結果的に会社に大損害を与えてしまった。

人生で土下座というものを初めて行ったのも覚えている。頭をこすりつけて相手がいいというまで詫びるのだ。思い返すとツラかった。その後、責任を取って私は子会社に左遷。今度は頑張ろうと心機一転したが、そこでも同じ問題にぶち当たり、うつ病に近い症状を患った。生長の家に出会ったことで元気を取り戻し、団体職員として第二の人生を歩んでいる。

生長の家では「天地一切のものに感謝せよ」との教えが根底にある。あの出来事がなかったら、生長の家に触れていなかっただろうし、このブログも書いていないだろう。当時は悔しくてたまらないイヤな出来事だったが、8年経った今はその出来事があったおかげで、たくさんの出会いに恵まれた。

過去のことを克服したつもりが、心の奥底にずっと感謝したくない気持ちが眠っていたのかもしれない。ふと表面に浮き出てきたのは、きっと感謝のコトバを伝えたほうが良いという神様からのメッセージだろう。改めて感謝の気持ちを伝えます。

S社さん、ありがとうございます。その節は大変ご迷惑をおかけしました。問題があった当初は夜も眠られなくなるほど、怒りと憎しみでいっぱいでした。自分が招いたこととはいえ、自分の人生を狂わせた矛先をそこにぶつけることでしか方法がありませんでした。本当に本当に苦しかった。

あれから8年。久しぶりにS社の名前を聞いたことは、今感謝しなさいとのお告げだったのかもしれません。感謝シリーズを書き始めたことも、偶然ではなくここにたどり着く布石だったのかもしれません。

今まで伝えることができず、すみません。そしてありがとうございました。また顔を出せるようになったら、S社の製品も買いに伺います。よろしくお願いします。

ありがとうは、世界を変えるマジカルフレーズ。


感謝の21人。投稿609日目

感謝の21人。投稿609日目

昨日の投稿を、ゆいこ編集長に見てもらった。書いた本人に見てくださいというときほど、緊張しないことはない。数分後、本人から喜びのラインが来たので、書いて良かったなと心から思いました。

青年会のグループページで、新たな21日間習慣化プログラムがスタート。今度は何を継続しようか。仕事中にパッと浮かんだことがあった。
ブログでゆいちゃんの良さを書かせてもらった。すごく喜んでくれた。これを毎日誰か1人にフォーカスして書いたら面白いのでは。讃嘆にもなるし、普段言えないようなことも素直に伝えられる。

ということで、今回の21日間習慣化プログラムは、生まれてから今日までに出会った、21人に感謝のブログを書きます。 生長の家の方でもそうでない方でも限定はしない。もしかしたら過去の記憶に忘れている人もいるかもしれない。そういうのを思い出すきっかけになる。もし書けなかったら、いつものスイーツ男子のブログになります(笑

初めは、私を生んでくださった、両親。生長の家の信仰・青年会活動・元気に行動できるのも、父と母がいなければできないこと。本当にありがとう。

前の仕事を辞めて、教化部に入るとき、99%反対された。宗教団体の職員になることは並大抵のことではないからだ。「やめとけ」「お前頭おかしくなったんじゃない?」「あんたとは縁を切るよ。二度と会わないで」など様々。これは覚悟していたが、面と向かって言われるとキツく、何度もココロが折れかかった。

自分には生長の家で救われた。何とかお役に立ちたい。その一心でたどり着いた道がここだった。それを否定されまくったし、今まで仲が良かった人との付き合いもなくなったのも事実。ただ、最後の最後まで味方してくれたのは母だった。
背中を押してくれた。そのおかげで色んな青年やたくさんの出会いに恵まれた。

なかなか外ばかり訪問したり、色々と忙しくなって、あまり親孝行らしいことができていないが、本心では一番大切な存在であることには変わりありません。
父に関しては、もう15年以上会えていない。行方不明。それでも元気で生きていることを信じたい。どんなに離れていてもたった一人の父親。そんな二人に感謝の気持ちを込めます。

こんなに大きくなりました(笑

私を生んでくださり、本当にありがとうございます。
これからもよろしくね。