忘れていた感謝。投稿623日目

忘れていた感謝。投稿623日目

感謝シリーズも15日目。改めて”感謝”の意味を調べてみる。
「ありがたく思って礼をいうこと。心にありがたく感ずること。 」
そのことを強く思わせる出来事があった。

昨日、30代のための青年誌友会を開催。講話の途中で、ある食品を製造・取り扱いをしている老舗会社のお話があった。来てくださった講師がそこの食品を長年愛用しているとのこと。「知っている方はいるかしら??」と聞かれ思わず、「もしかして、○○市にある、S社ですか??」と答えた。

たまたま知っていたのではない。その時は何も触れなかったが、実はボクにとっては因縁がある会社だった。そこで起きた出来事により、前の職場では左遷。結果的に仕事を辞めてしまうことになった遠因でもある。ただ大きな誤解をしてほしくないのは、Sは素晴らしい会社。左遷・仕事を辞めることになったのは、すべて自分が招いてしまったことと捉えてほしい。

S社は社員教育が徹底されている。会社の至る場所に、”ありがとうございます”と書かれているのが特徴的。従業員が立ち止まって、「ありがとうございます」と会釈をしてくれる。とても驚いたことを今でも覚えている。

創業者が生長の家の信仰でもされているのか?と思うくらい、会長・社長さんがいつも笑顔でニコニコされていると講師の先生は話してくれた。その姿勢はボクが担当していたときと全く変わっていない。営業マンをやっていた当時、間接的ではあるが、販売店を通してS社と取引を始めた。

燃料転換の大きな仕事をするなかで、自分の知識・経験不足からS社に大迷惑をかけてしまったことがあった。どうしようもできず、それをひた隠しにしていた。もちろん悪いことはいつまで経っても隠し通せるはずもなく、バレるのは時間の問題。結果的に会社に大損害を与えてしまった。

人生で土下座というものを初めて行ったのも覚えている。頭をこすりつけて相手がいいというまで詫びるのだ。思い返すとツラかった。その後、責任を取って私は子会社に左遷。今度は頑張ろうと心機一転したが、そこでも同じ問題にぶち当たり、うつ病に近い症状を患った。生長の家に出会ったことで元気を取り戻し、団体職員として第二の人生を歩んでいる。

生長の家では「天地一切のものに感謝せよ」との教えが根底にある。あの出来事がなかったら、生長の家に触れていなかっただろうし、このブログも書いていないだろう。当時は悔しくてたまらないイヤな出来事だったが、8年経った今はその出来事があったおかげで、たくさんの出会いに恵まれた。

過去のことを克服したつもりが、心の奥底にずっと感謝したくない気持ちが眠っていたのかもしれない。ふと表面に浮き出てきたのは、きっと感謝のコトバを伝えたほうが良いという神様からのメッセージだろう。改めて感謝の気持ちを伝えます。

S社さん、ありがとうございます。その節は大変ご迷惑をおかけしました。問題があった当初は夜も眠られなくなるほど、怒りと憎しみでいっぱいでした。自分が招いたこととはいえ、自分の人生を狂わせた矛先をそこにぶつけることでしか方法がありませんでした。本当に本当に苦しかった。

あれから8年。久しぶりにS社の名前を聞いたことは、今感謝しなさいとのお告げだったのかもしれません。感謝シリーズを書き始めたことも、偶然ではなくここにたどり着く布石だったのかもしれません。

今まで伝えることができず、すみません。そしてありがとうございました。また顔を出せるようになったら、S社の製品も買いに伺います。よろしくお願いします。

ありがとうは、世界を変えるマジカルフレーズ。


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