タグ: 誌友会

偉大なる本部講師へのメッセージ。投稿578日目。

偉大なる本部講師へのメッセージ。投稿578日目。

明日から本格的に小学生一泊見真会・年末に向けて準備が本格化してきます。
とかく、12月に入ってから寝る時間が少なくなりました。休みが休みでなくなり、体への負担がかかってしまうこともしばしば。20代の頃とは違うなー思いながらも、オレはこんなもんじゃない!!と、厳しいムチとほんの優しいアメで、気力・精神力を振り絞っています。

そんな忙しい中でも、忘れてはいけない日がある。12月12日。元愛知教区教化部長、濵山正幸 本部講師の命日。生長の家に触れてから最もお世話になったといっても過言ではない。短い時間の中にも先生との思い出は今も蘇ってきます。

先日、友と会ってきた時に、「あなたは、いくら頑張っても努力しても、自分自身の喜びを封印している。きっと濵山先生に認められないから。一所懸命やっているのに、自分ができたことを自分自身が認めていない。」と言われたことがあった。
ボク自身、亡き先生に認めてほしい。そう願っているのかもしれない。だから、いつまで経っても心の渇き・満足感を得ることがない。どれだけやってもどれだけ頑張っても現状に納得できていない自分がいる。でも先生はもう亡くなっているのだから、直接は認めてもらえない。困った時に、先生を頼ることができない。それはもう現象的には分かっていること。だからこそ、自分自身どう向き合えばいいのかを模索している。

昨年、濵山先生に宛ててメッセージを書きました。

濵山先生、ありがとうございます。12月になると先生との出会いと別れの季節を感じます。体調を崩されたと聞いて、心配ばかりして、先生の元へすぐに馳せ参じることができなかったことが今でも心残りです。教化部に来られなくなる数ヶ月前、先生をご自宅に送り届けた際にネクタイをいただいたのを覚えています。
「秋元くん、好きなのを持っていっていいぞ。」「え、でも先生のものですけど、いいんですか?」「ああ、たくさんあるから、持っていってほしい。」
そう言って赤いネクタイ含め3本ほどいただきました。それから、すぐに先生は旅立ってしまいました。あのときほど、ツラく悲しいものはありませんでした。

先生から指導いただいた、青年誌友会も今では多いときで10人を超えるようになりました。青年会事務局長を拝命してからは、先生がボクにしていただいたように、温かく迎えるようにする立場にもなりました。それでも、「よー来たなー。」とか「おー◯◯ちゃん、ありがとね。」という自分なりの愛情表現で接しています。高校生や若い子にもクマさん扱いされるのはご愛嬌ですね(笑

先日は講習会もありましたが、終わったあとも見失うことなく、出会った方や、これから出会う方とのご縁を結ぶ活動、青年会活動に邁進できているのかなと思います。「今は伸びてないように見えても、着々と毎日伸び続けている。だからしっかりと生長の家の教えを学んでいけばいいんだ。」 
この言葉があったからこそ、変化を感じにくい日々のなかでも頑張って来られたのだと感じています。

そして、念願だった光明実践委員にも合格できて、いよいよ生長の家の御教えを伝える側になりました。辞令を濵山先生からいただくことが夢でしたが、鈴木教化部長も大変素晴らしく、尊敬する先生のお一人ですので、拝命できる喜びを感じたいと思います。愛知教区青年会も若い20代の子たちが誌友会を発会したり、新しいメンバーとの交流が増えたりとありがたいことばかりです。

青年会事務局長として、縁の下、陰のきついところ、色んなことに対応しなくてはならないことも多いですが、教化部に来られる方、誌友会や家庭訪問でお会いした笑顔の数が、今の自分を支えています。ですが3年後は、後進に譲って、この喜びを引き継いでくれる青年にバトンタッチします。もしかしたら早くなるかもしれませんが、、、その時まで頑張ります。長々とブログを書いていると、また涙が溢れてしまうので、今年もこのへんで。喜びを胸に先生の分まで精一杯生きていきます。ありがとうございます。

今これを見返してみても、やっぱり泣けます。あれから1年。今の心境を率直に濵山先生に向けて書きたいと思います。

濵山先生、ありがとうございます。いつもより寒さが厳しくなりました。お元気でしょうか??最近、日常で先生のことを思い返すことも少なくなってしまい、記憶が薄れてしまっているのを切実に感じます。失礼ながら、命日の夜、寝る前になって、ようやく先生のことを思い出しました。きっと先生が霊界から「オレのことは気にするな!! 今の青年会活動をしっかりとやりなさい!!」と、ボクを気遣ってくださってのことでしょう。

濵山先生は威厳があり、なかなか近づけないオーラがありました。目標を見失い、「もう辞めたいし、この先、どうしたらよいか分からない。」思い切って、教化部長室を訪ねたとき、聖典(本)を引っ張り出して、「ここをしっかりと読みなさい」と説明してくださったことを今でも覚えています。あのとき、かなり病気も進行していてきつかったはずなのに、丁寧に向き合ってくださり、本部講師、いや一人の人間としてボクと接してくださったことが何よりも嬉しかったです。

「谷口雅宣先生の教えは、何ひとつ間違っていない。生長の家の信仰をしっかりと続けていけば良い。」と常に仰っていました。徐々にではありますが、年数を重ねていくにつれて、濵山先生のお話してくださったことが分かるようになってきました。

そして、最近、青年会も空気が変わってきました。今まではトップダウンで降りることがしばしばでしたが、今は主体的に動いてくれる仲間も増えて頼もしく感じます。
そのこともあり、今までやってきた自分自身のスタイルを見直しました。仲間がしっかりと喜びを持って活動するためにはどうするかというところへシフトチェンジして、一人ひとりがより輝けるように努めています。「青年が活性化することはとても大切だ!!」ボクが教化部に入って4年。その片鱗がようやく見えてきたような気がします。

ボク自身は、しっかりとやれていますか?
先生と出会った頃から成長しているでしょうか?
ご意志をしっかりと引き継げているでしょうか?

よく、教化部職員だから、活動を頑張っているんだよね。と言われることもあります。職員だから一所懸命やっているわけではありません。生長の家で救われたからこそ一所懸命やっている。たくさんの人に伝えたい。聖地、宇治で生長の家の講師になると決めてから紆余曲折しながらも、たどり着いたのが愛知県教化部でした。そこで濵山先生と出会い、まずは地元で頑張りなさい!!と教えられて、今日まで頑張ってきました。この信念があるからこそ、ここまで来られたのだと思います。教化部に入るときに、批判する友人・親戚、周りとの関係、過去・生半可な気持ちを全て捨てて、奉職しました。今もこの決断に間違いはないと信じています。

一番最初にいただいた名札。4年前。すべてはここからはじまった。

出会った人、出会う人に対して愛を持って接する。やるべきことをしっかりとやることが、きっと正解なのだと思います。
「今は伸びてないように見えても、着々と毎日伸び続けている。だからしっかりと生長の家の教えを学んでいけばいいんだ。」
今年の冬もこのコトバを大切にしたいと思います。来年の冬はもしかしたらお手紙を書かなくなるかもしれません。こうやって書いてしまうと、また心のどこかで先生のことを頼ってしまうかもしれないから。先生から教えてもらったことを忘れず、来年もたくさんの青年に愛を出していけたらと思います。本当にありがとうございます。再拝


発信のチカラは周囲も変える。投稿577日目

発信のチカラは周囲も変える。投稿577日目

「ちょっとまっさーさんにご相談で、ブログ書かれてますよね? 僕も実は最近匿名でブログを始めようと思っていて原稿も書き始めたんですが、中々思うように進まなくて… どうやったらまっさーさんみたいに継続的に書けるようになるのか?またどのように原稿を書いているか?(時間を決めて毎日書くのか、思いついたら一気に書くのかなど)是非ご教示いただければ幸いです。 ご多用と存じますので、お手隙のときに返信いただければと思います。 よろしくお願いします。」

悩める青年からの突然のメール。
ぶっちゃけ言おう。ボクも聞きたい(笑

どうやったらもっとコンスタントに続けられるのか?? もっと上手な文章を書けるようになるにはどうしたらよいか?は書くたびに感じることだ。と同時に嬉しくなった。見てくれている人、こうやって聞いてくれる人の存在をあらためて噛みしめることができた。そう思うと、このブログを書き続ける意味はあるのかなとシアワセに気持ちになる。

何でブログを書き始めたんだっけか??と昔、アメーバブログに書き始めたものを引っ張り出してみた。
過去のブログをご覧になりたい方は、過去のまっさーのブログから。

アメーバ時代のまっさーの浄円月なブログ

ブログはじめました。投稿1日目

今日からブログを始めることにしました。
「えっ?Facebookにもう書かないの?」
と思われるかもしれません。
やめるわけではないです。
ブログを始める理由は2つあります。
1つはFacebookだと毎日投稿しても
読み返したい時に、投稿が流れてしまってピンポイントで呼び出せないことです。
その点、ブログは月別で管理することも
できて便利な部分も魅力だからです
2つ目は「ブログの発信の力」です。
今は、個人で発信して影響力がある時代。
逆にFacebookやSNSをやっていないと
取り残される時代になりました
特にトップでひた走っている方はどんどん
新しいことに挑戦し、取り組んでいます。
SNSでの発信でも想いをこめれば
必ず伝わります。
やらないと絶対に損です。
ボクもFacebookで投稿してましたが
ブログへと毎日の投稿の場を移して
喜びの投稿を続けていきます

今日のコトバ
「この世の中に無駄なものは1つもない。」
光明法語より。

かなりマジメ・・・。今とそんなに変わらないか(笑
ネタがないので、最後にいいコトバを載せようとしているのは苦し紛れかもしれない。
確か、Facebookが出始めた頃に、何か発信することの必要性を感じて、投稿していた。
やってみようと思ったきっかけは、営業マン時代に参加したとあるセミナーだった。

簡単に書くと、自分の体験や経験・思い(エクスペリエンス)を発信することで、相手にも伝えられるし、自分を知ってもらえる。そこから関係性を生み出すという内容。それがSNSはより身近なツールであり、これから必要になってくるとのことだった。当時はピンと来なかった。そんな時代が来るのか、でも書いてみるか。と言う軽い気持ちから始めたと思う。2日か3日やってはやめて、また続けての繰り返し。それでも細々と続けてきた。

ある日、「まっさーさんは、Facebookでよく発信されていますよね。ブログやってみてはどうですか??」とアドバイスを受けたことがあった。ああ、ブログ・・・。面倒くさい!!今のままでいいじゃんと思っていたけど、何故かそのときやってみようという気持ちが先行した。新しいことへのチャレンジだからだろうか、今となっては覚えていない。自分に続けられることができるか、正直不安はあった。

生長の家青年会ビジョンと言う、青年会が目指している具体策が5つあります。その中の3番目にこう書かれています。

私たちは、学校や職場などそれぞれの場において出会う人々はもちろんのこと、インターネットを積極的に活用して、同じ問題意識や趣味、価値観等を共有する人々にも“善一元の神への信仰”を伝える。

ブログからでも伝えられることはある!!というわけで、Nさんからの質問に答えたいと思います。

①ブログがなかなか進まない。
正直いえば、これは今でもあります。一番初めに書き始めたころは、こうやって良かった出来事とか周りの方の活躍を書こうとすることはなく、自分の絵日記みたいなことをやっていました。当然読んでくれる人もゼロ。読まれないブログをひたすら毎日書くという作業は、精神的にもキツイです。そこから方向転換したのは投稿300日目くらいだったと思います。その前に気がつけよ!!と思うかもしれませんが、続けることで自分を知ってもらうというスタイルだったので、そこに気がつくまでは地獄でした。

ただある程度、数を書くことは必要です。最低100は突破しないと見えてこないものがあります。これはボク自身の経験ですが、自分のブログスタイルや書くベースを量によって養っていくからです。ひたすら積み重ねることで、たとえば文章の表現が変わったり、伝わりやすくなったり、こうしてみよう!!って考えられるようになります。
最初はいきなり上手く書こうと思わず、まずは短くてもいいので、今日の出来事とか最近あったことを文章に起こしてみる。そういうところからで全然よいと思います。文章の上手い、下手ではなく、熱量があるかないか。大勢の人に向けてではなく、たった一人のために伝える。いわば手紙のように書いてみることも大切です。誰のために何を伝えるか??これに尽きますね。

ひたすら書き続けていくなかで、ちょっとずつ読んでくださる方も増えていきます。青年会で会ったときとか、SNSで繋がった人とかでも、「あ、ブログ書いていらっしゃいますね。読んでますよ〜」と言われると、書いた喜びを肌で感じることができ、シアワセを感じます。

②書く時間とかについて
これはバラバラです。思い立った時に一気に書き上げることもあれば、徐々に文章を作っておいて、何日後にまとまったらアップしたりもします。ひとつ言えることは、書きたい!!って思ったときは、他のことはやめて一気に書き上げることをオススメします。2時間、3時間かかっても。これを伝えたい!!って気持ちがあれば、ちょっときつくても頑張ってもらいたいなと。そうすることで、読んでくださる人にもリアルな体験と熱量が伝わります。

③どのように原稿を書いているのか??
これもバラバラで、いきなり結論が決まって、後ろから書くこともあれば、書いている途中で構成がガラッと変わることもあります。これも数をこなしていくうちに、こっちのほうが良いとか、こうしたら文章がつながるとかってのがなんとなく見えてきます。

ボクの場合は、起承転結をベースにしていて、間にキーワードを並べて、そこから文章を肉付けする感じですね。
今書いている文章の構成をまとめると、こういう風に考えました。

タイトル:発信のチカラは周囲も変える(最初はブログをはじめたきっかけ)
起:Nさんからメールをいただく。純粋に嬉しい。(スタート)
承:ボクのブログ・過去の経験・苦労。どんなふうだったか?
転:ボクのアドバイス・どう伝えようかな?
結:Nさんに伝わって、ブログ頑張ってもらいたい。と同時に発信のチカラは周囲も変えるんだな。(ゴール)

タイトルは、ブログをはじめたきっかけで書いていましたが、途中でこのタイトルを思いつき、変更しました。タイトルと文章がフィットした感じで採用。
というイメージです。これが合っているか間違っているかは分かりません。ご自身のブログなので、自分が好きなように書いていくのが一番ですね(*^^*)自分自身のスタイルを早くつかむことが、継続への一歩かもしれません。Nさんは読書もされていて、文章を読むことが好きそうなので、文章力の本とかブログの書き方などの本を参考にされるのも良いかなと思います。

って書いていたら、軽く2時間半過ぎました(笑 伝えたいことが多すぎたのを一気に縮小しました。これで伝わりましたでしょうか??
発信のチカラは周囲も変える。Nさん、ありがとう!! そして、喜びの発信を頑張ってください。ブログが完成したら、一番最初に見たいです。よろしくおねがいします〜。


母が繋いだ、小さな愛 投稿575日目

母が繋いだ、小さな愛 投稿575日目

1か月前に、教化部に電話があった。「息子が青年会に入りたい。どうしたら良いか?」と年配の女性でした。詳しく聞くと20代の息子さんと暮らしていて、宇治の練成会に息子と参加してきたとの内容だった。本当に不思議なご縁で青年会入会という出来事だった。

女性のお姉様が間に入ってくださり、青年会入会の手続きは終わったが、直接会って話がしたいという気持ちがとても強くなり、昨日訪問。会ったことがなくて会員になられた方に会いに行くのは初めての経験でした。
訪問した際も、ボクを快く招いてくれたことで、緊張することなく話を始めることができました。

聞けば、生長の家の行事に参加するのは、約20年ぶり。その前は赤ちゃんのときに母に連れられたときでその時の記憶もないくらい。病気の母に対して、親孝行したいという思いが生長の家の練成会に参加したことが再び、生長の家に帰ってくるきっかけとなったそうだ。
親孝行したい!!それはボク自身も4年前に宇治の練成会に初めて参加したとき、今まで仕事漬けだったボクがつまずき、苦しくなり休職を余儀なくされたとき、初めての親孝行で連れて行ったのが宇治の宝蔵神社だった。だから彼とどことなく不思議な縁を感じました。

全く何も知らないことばかりだったので、聖使命会員や青年会がどんな組織で、どういうことをやっているのかなど丁寧に説明しました。終盤にさしかかったところで、「でもどうして青年会に入ろうと決めたのですか?? いきなり入るってなかなか決断できないと思いますけど・・・。」と伝えました。
すると「先日亡くなった母との約束なんですよ。病院で母が生長の家のことを話してくれて、そこで青年会のことを知りました。よく分からなかったし、何をやってよいか分からなかったけど、母から青年会を勧められて、迷ったけど入る!!って言いました。それを伝えたときの母の顔はとても喜んでいたんです。だから青年会に入りました。」と話してくれました。

思わず目頭が熱くなりながらも、「きっと、あなたが入ってくれたことでとてもお母様は嬉しかったと思いますよ。(大調和の神示の書かれた紙を見せながら・・・)ここに、汝ら天地一切のものに和解せよ。に書いてありますよね。和解とは感謝のことなんです。心の底からの感謝なのです。でも神に感謝しても父母に感謝し得ないものは神の心に叶わぬ。って続くんです。つまり本当の意味で、あなたがお母さんのことを想い、寄り添い、親孝行したこと、そして生長の家青年会に入るって決意してくださったことは最大の親孝行だったと思います。だから、そのお母様が繋いでくれた大切なものをどうぞ忘れずになさってください。ボクもそのお母様から繋いでいただいたものを通して、青年会で一緒に学んでいけたら嬉しいです。青年会に入ってくれてありがとう!!」と握手しました。

用意したコトバとかではなくて、自然と伝えられたことが何よりも嬉しく、その後は雑談や趣味の話で盛り上がり、気が付けば2時間半ほど経っていました。
帰り際に、地元で生長の家の真理を学ぶ誌友会をお伝えして「一度来てみませんか?青年会のメンバーや雰囲気がよく分かります。」と色々と提案したところ、「1月に行ってみます。」という嬉しいコトバを聞くことができ、青年誌友会初参加へと繋がりました。
外に出てから速攻で、委員長に電話で「あー、もしもし。委員長のところの誌友会に初めての方が行くのでよろしく!!」と相談する前に、行くことを決めてしまったのは内緒です。(笑 もちろん、初めての方でも安心して参加しやすい誌友会と知っているからです。

たくさんの仲間と出会い、学ぶ。それが青年会の素晴らしさ。

宇治の練成会から、青年会へ。類は類を呼ぶ。本当にありがたいことです。また一人、新しいシアワセが愛知教区青年会へやってきました。これからもこの小さな愛を大きく育てていきたいと思います。


あなたのイライラ解消しました。投稿574日目

あなたのイライラ解消しました。投稿574日目

朝の時間や帰ってきたとき、寝る前などにブログやSNSを見る方も多いだろう。
それくらい、スマホの利用率は高いと思う。それがお気に入りだったら、なおさら隅々まで見てしまうはず。

ボク自身が、言うのもなんだが、このブログ、スマホで見ると文字が小さすぎてよく見えない!!自分で書いたのも関わらず、スマホで見返してみると、読む気が失せる(笑
にも関わらず、誰一人文句も言わず、たくさんの方に見ていただき、さらにはコメントもいただだけるという書き手にとっては、これ以上のコトバも出ないくらい嬉しい。
皆さんよく我慢してくださったなとお詫びしたいくらいです。そんなみなさんの気持ちに応えたい!!そんなこともあって、いつかやろうやろうと思っていた、ブログのテコ入れを行いました。

まず取り掛かったのが文字の大きさ。パソコンで見ると大したことではないのだが、スマホなどで見ると文字が小さくなってしまうという問題があった。
そこでワードプレス(ブログ編集ソフト)を立ち上げながら、試行錯誤すること1時間。完成しました。

before スマホの画面で見ると、かなり小さい。
after 文字を見やすくしました。

いかがでしょう??
自画自賛するつもりはないですが、かなり見やすくなったのではないでしょうか。よく職場で印刷物を作成するときに、「文字を大きくしないと、年配の方や目が悪い方は見えないわよ。」と言われていたのを思い出しました。ありがたいことに老若男女問わず、色んな方にブログを読んでもらい、お褒めのコトバをいただくことも増えました。
今まで文字が小さくて敬遠しがちだったのが劇的に改善されたかと思います。

実は、スマホで文字を読みやすくするだめには、プラグイン設定というものが触る必要があります。簡単に言ってしまえば、目玉焼きを美味しく食べるために、そのまま食べても美味しのだが、さらにソースやしょうゆ、塩などの調味料から自分の好きなもの選んで、自分好みにする。というひと手間が・・・。これだけでも、ネットを見て過去の設定を見て・・・ってやっていたら1時間近くもかかってしまいました。

そして、このブログにはもう一つ、問題点があった。スマホで過去の記事をまとめてみたいとき、スクロールすると、画面が消えてしまう欠陥だった。見たい記事があるのに見られない。そこにたどり着くまでに苦労しないといけない。これは、だいぶ前から言われていたのだが、やっていなかった。正確に言うと、どうやって設定したか忘れてしまっていた。自分が見ていてもありえない設定だよなと感じていた。

色々とパソコンを設定すること、こちらも1時間。

スクロールしている途中に消えないようにしました。
これで過去のものも見られます。

本当に読者の皆様には感謝のコトバありません。すみません、おまたせしました。まとめてみたいときや過去にどんなことが書いてあるかを見たいときに、一気に見ることができるようになりました。海外ドラマ並みの中毒性はありませんが、ツラツラと私の思いが書いてあるので、また読んでもらえると嬉しいです。
”まっさーの浄円月なひととき”、あなたにとって素敵な喜びを伝えられますよう、鋭意頑張ります。


光明実践委員の喜び。投稿570日目。

光明実践委員の喜び。投稿570日目。

7月突入しましたね。自分磨きのこと、大きく変化がありました。今まで臆病になってやらなかったことも、一歩踏み出してやればどこかで形となって現れてくる。5月中旬から始めたことが思ったよりも自分を前向きに変えてくれています。休日は予定がない限りはダラダラしてしまうことが多かったのですが、しっかりと自分の予定をつくり、自分の足で行動する。やることが増えて、充実した生活を送れています。もちろん青年会活動も充実しています。

そういえば、嬉しいことがありました。先週日曜日の夜、人生2回目の出講(講話)を行ってきました。先月、ブログでも書いた通り、初めての出講で緊張のあまり何を話してよいか、何を伝えたらいいのかが分からず頭が真っ白になってしまいました。だから今回も正直いえば「次の出講できちんとできるかなー。という一抹の不安がありました。今回のテーマが先祖供養ということもあって、自分が父親に感謝できた話や、浄心行を通して得たことなどを伝えようと思いました。いつも通り、早めに原稿と話すことを準備しました。Uさん宅は、初めて行くところだったので、、ナビを使って行ったのですがまさかの家がない状態。(笑 同乗者の方に、サポートしてもらいながら到着しました。誌友会の前にご飯を食べながら、談笑。初めていくところだったのか、いつもの知っているメンバーだからか、すごくはじけてしまって、なぜかものすごくテンションあがりまくりました。(恐らく、普段のボクを知っている人は、え?こんなんなるのーーーと驚かれるくらい)

しかし、ご飯を食べ終わったあとは、原稿を見ながら、こうやってこうして喋ろうと頭のなかでグルグルグルグル状態。参加者の方に、「とても楽しみにしてますよ!!まっさー大先生」と言われるたびに、「やめてよー。」と笑いながらも緊張感マックス。
席について、近況報告を一通りやったあとに自分の講話の時間がやってきました。今まで和気あいあいだった雰囲気が一気にしーーーんとなって、「あー、これから頑張って話して、、、しっかりと伝わるかしら。」など漠然なままスタートしました。普及誌を使って読んでもらったあとに講話を始めました。最初は、原稿を読みながら頭で話そう、話そうとしていたのですが、出だしはうまく行かず変な空気が流れてしまいました。ところが黒板を使いながら段々としゃべっていると、最初考えていたことと違うことが浮かんで言葉がどんどんと出てくるようになりました。体験談は包み隠さずに話しました。20分くらいは使ったかと思います。それでもリアルな自分を知ってもらいたくて話しました。最終的にどうまとめたか覚えていないくらい、キレイに着地できました。

今回は先祖供養についてお話ししました。

終わったあとに感想や質問の時間がありましたが、高校生の女の子から「分かりやすくて良かった。」と率直に感想を言ってくれたことがとても嬉しくて、他の参加者の方からも、おおむね好評をいただけました。本当に頑張った甲斐がありました。マジで嬉しかったです。
誌友会が終わって雑談をしているときに、初めて光明実践委員になって良かったなと心の底から思えました。自分の中でうまくできた喜びが湧き出でました。
講師会に所属していて、出講するのが嫌だ。ということを耳にします。その方の気持ち今ならすごく分かります。自分で考えてきたことが伝わらなかったり、全然違う流れになってしまってどうしようとなってしまうこともあるでしょう。特に1回目のボクがそうだったように、不安になってしまうこともあるでしょう。それでも経験していくしかないと思います。自分が誌友会を初めて開催したときも色々とうまくいかないことが多かったです。青年会活動にも身が入らなくて辞めてしまいたいこともありました。でも頑張っていくうち、人と向き合っていくうちに少しずつ自分自身が出せるようになりました。人前で話すのは今も得意ではありませんが、、まぁこれからもコツコツと頑張っていきたいと思います。

7月13,14日の中四国青年一泊見真会にお手伝いで行くことになりました。知らない方が多いと思いますが、、自分の経験や体験、想いを通じて少しでもお役に立てられたら幸いです。


誌友会に初出講しました。投稿569日目。

誌友会に初出講しました。投稿569日目。

こんばんは、まっさーです。自分磨きも1か月目に突入。先週から休みの朝に、1週間の振り返りというものをやり始めました。1週間を通して振り返ってみると、自分が忘れていたことを思い出したり、来週にむけてどうやっていこうかと考えたりととても充実した時間を見つけることができました。何もない休みの日を朝から有効活用できています。
昨日、初めて青年誌友会に本講師として、出講しました。15分の前講を終えましたが、一人でみんなの前で話すのは昨日が初めて。1か月以上前から会場リーダーとこういうテーマで話してほしい!!と打ち合わせをしました。こんな感じでいいのかなー?ここはこうやって説明したら分かってくれると思うかなと想像しながら作りました。家庭訪問や個別で会ったときは、その場で話を聞いてアドバイスを出すことができるのですが、いざ自分が人の前にたって話そうとすると、ちゃんと事前に準備しないとテンパってしまい、来てもらった参加者に伝わらなくなってしまうと思っていたからです。

テーマは人間関係(主に仕事における人間関係について)でした。ボクが前職で行った経験や苦しさがとてもマッチしていて、これをしっかりと伝えることができたらきっと日々の仕事や生活も変わる!!それぐらい自分では自信を持っていました。
仕事終わりに時間を計って、講話の練習もしました。恐らくこんな感じで進んでいくんだろうなーという予想をしながらやりました。

しかし、実際に出講してみると、参加者一人一人思いがあり、話す内容も様々。自分が考えてきた内容は本当に大丈夫なのか?ととても不安になりました。一番困ったのが、こんな質問があったときに講師としてどうこたえていけばいいのだろう。ことでした。黙って色々と聞いていましたが、筋違いのことを言ってしまったら会場がおかしくなってしまうだろうなと思っていてもコトバに出せませんでした。話の途中で、似たような境遇のことが聖典に載っていたのを思い出して、「じゃあ、ここを読んでみようか。」とみんなで読み終わった後も、じゃあ、この後どう繋げていけばいいのか、まったく思いつかずにしどろもどろになってしまいました。自分が事前に準備して考えたところで、ここはたぶん伝わるだろうと思って、「これがこうなって、こういう風に考えたら気が楽になるよ。」と説明をいれても、ピントがずれてしまったのか、「うーん、そうならない!!」と言われてしまいました。

え、こんな状況想定してないんですけど・・・。と頭が固まってしまい、次に出てくる言葉が「え、、、っとだから・・・」とフリーズ状態。一体どこから説明していいのやらと完全に困ってしまいました。毎月ボクの誌友会に来られる講師は、近況や体験からうまく引き出して、それを講話を繋げているのですが、いざ自分がやってみると本当に何も出てこない!!!(笑 俺ってこんなに喋れなかったっけとちょっとブルーな気分になりました。

幸い、参加してくれているメンバーがほとんど知っているメンバーだったので、盛り上げてくれたり、話の途中で「ごめん。最初から話しはじめるね。」と言えたのですが、これが初めての参加者がいるところだったら、どう思われてしまったのだろうか。次につながる誌友会を心掛けているボクにとって、とても苦い経験でした。最終的には参加者の一人の方の悩みをみんなで聞いて、シェアして、着地点を見出すことができました。嬉しかったことは、自分の思わず言った一言がよくて、「まっさーさん、それでいいんですよ。そのどっしりさがいいんですよ。」と言われたことです。これならいつもボクがやっていることだから、こうやっていけばいいのかと次へのヒントが見つけられたことは大きな収穫でした。

また7月初めの誌友会と7月の中高生練成会でも講話を行う予定です。生長の家の講師になる!!と決めてから、4年。ほろ苦いデビュー戦ではありましたが、自分がどんどん話していくスタイルよりも、みんなの話を聞いて、そこから夢や希望、毎日の生活に活力が湧くような講話ができるといいなって思います。まだまだ新米なので、みなさん温かいココロで私をお迎えください(笑

日曜日に結衣子様が参上!!全員分かった方はすごい(ボクと亀ちゃん以外はわからなかった)

Many thanks for coming a cross my life. 投稿561日目。

Many thanks for coming a cross my life. 投稿561日目。

先日書いたブログ、もうちょっとだけやってみるか。がちょっとだけではない、たくさんの反応をいただきました。Facebookにコメントもいただき、色んな方に読んでいただけて感謝の想いでいっぱいです。嬉しい反面、今週はどんなことを書こうかとネタ探しにプレッシャーがかかりました。そしたら、もう木曜日を迎えました(笑

先週の土曜日、西尾青年誌友会に参加しました。この誌友会の会場リーダーを努めているのが、岩堤くん。そして、シアワセの福(副)リーダーをやっているのが、Yちゃん。どちらもボクの誌友会に来てくれる仲間です。

この誌友会の良さは、リーダーと講師が入念に打ち合わせして、今月はこういうテーマで開催したいという目的や意志をはっきりしていることです。先日は、途中から参加。ラストに目の前の相手のいいところを5個言ってみよう。ということを行いました。たまたま席の並びで福リーダーのYちゃんと妹のNちゃんのチームでした。意外にも本人を目の前にすると頭では思っていても、なかなかうまくコトバにできません。

全部は書きませんが、確か笑顔がとても(強調してくれたことを喜んでくれた 笑)かわいく、人のために尽くせる。と小動物で愛くるしさがある。と本人に対して伝えました。普段ボクがそんなことを言わないから、はにかみながらも大笑い。でもどこか嬉しそうな表情でした。ちなみに、ボクはいつも笑顔でいじられる。相手のことを深く見てる。とありがたい言葉をいただいた。直接面と向かって言われると、恥ずかしい。でもやっぱりココロが温かくなる(*´ω`*)

他のグループもそれぞれがお互いの思っていることや良さを直接伝えていた。それをみんなで発表して、岩堤くんが黒板に書いてくれた。これはすごく良い取り組みだなと思いました。ちゃんと計画して練っている誌友会だから、来てくれた参加者も喜んで帰ってくれる。初参加で来てくれたTくんも遠くから足を運んでくれたりと、彼の見えない努力がこういう成果に結びついていると感じました。

誌友会の途中、あるものをいただきました。手書きのメッセージが書かれた手紙と、少し早いホワイトデーの手作りクッキー。1人1人の参加者に向けて書いてくれたようだ。「誌友会終わってから、見てください。」と言われたので、帰ってから、着替えもそこそこに速攻開封。女の子よりも丁寧な文字で日頃の感謝のコトバが綴られていました。

誌友会の途中に渡してくれたメッセージと手作りのクッキー。

彼と出会ったのは、2015年の青年練成会だったと思う。宇治の研修生を終えて、帰ってきたボクは教化部を訪問。そこで青年会活動をスタートしていたときに、当時青年会事務局長をしていた金沢さんに「青年練成会というのがあるから来てみませんか?」と言われ、無職で暇をしていたボクは、「あーいいよ。とりあえず3日間。受ければいいんだね。申し込むよ。」と軽い気持ちで参加した。

その中で、体験談を話す機会を与えられて、父親との和解のことや宇治で学んできたことなどを発表した。人前で話すのはそんなに得意じゃないから、結構ノートいっぱいに書きたいことを書き連ねた。素直に、そのままに。その後、彼が寄ってきて、「今の体験、すごく良かったです。涙が出ました。」と話かけてくれたことが今でもココロに残っています。

翌年、6月地元で安城青年誌友会を発会。一番最初は、知り合いも少なく参加者ゼロ・・・かと思いきや、岩堤くんが参加してくれた。事前に誰かが声をかけてくれて参加してくれたそう。講師が亀田くんで、3人でのスタート。初めての会場リーダーだったから、場をほぐそうと近況報告でしゃべった内容が、今ではとても言えないような爆弾ネタを投下しまい、変な緊張感に包まれたのはいい思い出です(笑 それでも来てくれたことが嬉しくて、次も頑張って開催しよう!!というきっかけになりました。ほぼ毎月、参加してくれるようになって、安城青年誌友会には欠かせない存在になった彼。その後、彼の親友のTくんやKちゃん、そしてYちゃん、Nちゃんも来てくれるようになって、徐々に参加者も増えてきました。

その後、宇治で研修生になったり、青年会にも入会してくれて、率先して真理を学び、2018年7月頃から、西尾青年誌友会を発会。光明実践委員にも合格して、青年会にもなくてはならない存在に。最近では、中高生一泊見真会のジュニア・生高連大会の自主制作映画の編集を担当。随所で光明化のお手伝いしてくれます。

時にはツライことや大変なことにもありました。そのたびに彼のもとを訪問したり、電話したり、一緒にご飯食べながら話をしたり、アドバイスしたのを覚えています。またボクが昨年、精神的にキツくて体調不良で休んだときも温かいメッセージをくれたこともありました。あのときのメッセージ、まだ返せてなかったけど、この場を借りてお礼を言います。本当に想ってくれてありがとう。感謝してます。
決して順調なことばかりではなかったけれど、色々とあったよな。その経験が人への思いやりを深め、相手のことを考えて行動できるようになり、素晴らしい青年誌友会を開催するまでに繋がったと思います。自分なりに考えて努力する。なかなかできないことだけど、コツコツと頑張っている姿を見ると、年下ながら尊敬します。

さて、『生活の智慧365章』 P110 「現象人間の欠点には寛容であれ」にはこう書かれています。
幹部といえども、普通のメンバー、誌友、信徒たちと同じく、感謝され賞賛され、美点を見つけて貰い、激励されることによって、はげまされて実相の完全さがあらわれて来やすくなっているのである。信徒や誌友たちは、教団の幹部の人たちにも現象人間としての苦労があり悩みがあることを察して、欠点を見ないで、実相の円満さを念じてその円満さの顕れるお手伝いをしてあげるべきである。

ボクと同じように宇治に行って研修生をやったり、青年会活動をするなかで、ものすごい苦労や葛藤があったと思います。活動していると何のためにやっているか見失ったり、バカらしくなってもう辞めようと頭をよぎったりすることもあります。そういうときに助けてくれたり、頼りになるのは青年会の仲間たちの存在。1人ではない。こんなにもいっぱい周りには支えてくれている人がいる。彼の周りには、たくさん手を差し伸べてくれる仲間がいます。それは彼の人柄や性格もあるでしょう。人から好かれることは、どんなにいい成績を残したり、お金をたくさん持っていても変えられないものです。岩堤くんはじめ、青年会の仲間たちが輝ける場をこれからも提供していけるよう努力していきます。

ブログの最後、彼からもらった手紙のコトバで締めくくりたいと思います。
MANY THANKS FOR COMING A CROSS MY LIFE.(私と出会ってくれて本当にありがとう。)


もうちょっとだけやってみるか。投稿560日目。

もうちょっとだけやってみるか。投稿560日目。

青年会全国大会の連動企画として2月から始まっている、21日間習慣化プログラム
ボクは毎週木曜日の休みに、ブログをアップしようと決めました。1週間、思いついたことをノートやパソコンなどに記録するよう心がけました。今日が木曜日。ノートを開いてみると、ただ一言。「もうちょっとだけやってみるか。」 ナニコレ?? これしか書いてなかったっけ? いつ書いたのか記憶がない。もう迷っている時間がない。これをブログのタイトルにしよう。

嬉しいことを掘りおこしていくと、先月も色々とありました。中高生一泊見真会では14名の中高生が参加。その中高生が合同卒園式でお手伝いに駆けつけてくれて大活躍。新たに7名のジュニア会員が誕生する立役者となった。個人的には地元で開催している誌友会に過去最高の13名参加。あれ、俺いらなくね、というほどみんなのパワーで誌友会を盛り上げてくれました。

自慢の仲間たちです。

ただ、青年会活動をしていると、ずーっと喜びや嬉しいことばかりがやってくるわけではありません。たとえば事務局長としての細かい対応、夜遅くに連絡や相談・調整はさることながら、自分の2つの誌友会の準備や・家庭訪問・打ち合わせなど数え上げればキリがありません。24時間365日青年会対応していくと心に誓っていますが、ボクと話して「元気になったよー。ありがとうございます!!」と言ってくれた子が、3日後にはもう落ち込んでいたり、久しぶりに来た子が「ちょっと話があります。実は○○を辞めました。どうしたらいいですかー。」なんてことも。
お前、この前頑張るって言ったじゃん、もっと頑張れよー。と心の中で叫びたくなることもありますが、こうして助けを求めに来てくれるから、「今日はどうしたー??」と時間の許す限り聞く。励ましてアドバイスして元気になって帰ってもらう。

別にどんだけ時間を作って頑張っても、誰かに褒められるわけでもない。あくまで主役は自分ではなく、青年会のメンバー。光の当たらないところをコツコツやって目には見えない成果を積み重ねていく。ヤバイところがあれば未然に防いで、何事もなかったかのように円滑に進める。それがボクのポジション。みんなの中にわーっと入っていきたい。でもそれをグッとこらえる。自分たちの頭で考えて、行動しようとしている芽をつぶしたくはない。ただ、何か困ったことがあったら、全力でフォローする。

まっさーさんならこれぐらいできるでしょ?と言われるけれど、そんなことはない。スーパーマンでもないし、1人の人間。すげー苦しくて押しつぶされそうな衝動に駆られるときもある。金魚がパクパクと口をあけている感覚。それでもみんなに頑張ってもらいたくて、喜んでもらいたくて、動いているのに分かってもらえない時、一体何のためにこの仕事をやっているのかと、天を仰ぎたくなることもしばしば。

これだけ見ると、まっさーの愚痴ブログになってしまいますね(笑 皆様、どうかここで見るのをやめないでください。

さて、『新版 生活の智慧365章』 P88 常識を超える力にはこう書かれています。
すべての生活を、祈りに始まって祈りに終わる生活となせ。祈りは神の心と人間の心との波長を合わす最良の道である。我々は常識的に判断して現象的には到底不可能だと見える問題に面すると、もう常識的判断だけで、とても駄目だと見切りをつけて、祈ることすらも抛棄(ほうき)してしまうことがあり勝ちであるのである。しかし、それが正しい要求である限り、常識的判断で、到底駄目と見える事でも、神に於いては不可能なことはないのである。」

今、朝と夜の神想観の時間に、祝福録に書かれた方を一人ひとり読み上げています。「神の子○○さん、ありがとうございます。○○さんありがとうございます。」青年会員・誌友会に参加してくれる人・好きな人・嫌いだった人・過去に出会った方など。ただ書くだけではなく、記載した方を読み上げる。すると不思議と一体感が生まれます。毎日祈っているから、いつでも大丈夫!!と自信にもつながる。たとえ現象的にはうまくいってなくても、魂の奥底では繋がっている。じわじわとくるイメージです。

成果がすぐ出ない。くそーもうやめよう!!時間の無駄だと思って諦めてしまったら、もうそこで終わり。だから祈りでもお世話活動もコツコツ続けていく必要がある。だってその先には幸福が待っているから。先日、金内会長がブログにコメントをいただいた時は、非常に嬉しかった。とても励みになった。見れくれる人はいるんだな。想ってくれる人はいるんだな。だから、もうちょっとだけやってみるか。って自然とノートに書いたのかもしれません。短いコトバでも、手紙でも、メールでもいいんだ。その人を想うことをそっと伝えればいい。ありがとうの魔法の5文字だけでも全然違う。「よくやっているね。」「最近、頑張っているね。ありがとう。」

こういう優しいコトバや想いから、自分の心が変われば、周りとの関係も自ずから変わってきます。目には見えなくても、祈りの力は時間・空間を超えて相手の元に必ず届くそうです。どんだけ大変で苦しい時間がいっぱいだったとしても、最後の最後で褒められたり、感動があったりしたら、それはすべて良かったことに変わる。陰極は必ず陽転する。よし、もうちょっとだけやってみるか。今週、青年会活動をしていてふと思う一週間でした。来週はネタをしっかりと探します。それではまた〜(*´ω`*)


一人光る、みな光る、何もかも光る。投稿555日目。

一人光る、みな光る、何もかも光る。投稿555日目。

今日は大晦日。2018年を振り返るのも今日しかないじゃん!!と喫茶店でブログを書いています。どんなことがあったかなーと手帳を振り返ってみると、98%くらいが青年会の行事や家庭訪問、誌友会、打ち合わせ等々。残り2%がかろうじて、空いたところで、どこかに遊びに行ったり、仲がよいメンバーと飲みに行ったりという構成になってます。プライベートのことがまったくない(笑
24時間365日とまでは行かないけれど、一年の大半が生長の家青年会。休みの日も誰かに会いに行ってお話を聞いたりと、人生損してんじゃないかーっていうくらい。それでもこの活動が好きだから、こんな状況でも続けられているのだと思います。与えられていることに感謝です。

前にも書きましたが、4月の後半から、5月の前半にかけて精神的に不安定になり、目標を見失って、教化部もやめて青年会も退会しようというギリギリのところまで来てました。単純に自分のやっていることが認められず、こんなにやっているのになぜか満足感がない。一体どこから手をつけていいのか分からない。休んでも休んでも青年会のことばかり。あんなに大好きだった青年会が、一番大嫌いになる瞬間。これは本当に苦しかった。人にも会いたくない、話したくない状況が続いたけれど、鈴木教化部長の一言で頑張ろうと決意しました。「今、辞めたら中高生の子が悲しんでしまう。その中高生たちはどうなってしまうのか?分かるかな? 色々とあるかもしれないが、今が踏ん張りときだ。君がいるから、青年会が落ち着いている状態。だから事務局長を続けて欲しい。」

あそこで踏ん張ったからこそ、家庭訪問や誌友会でたくさんの新たな出会いがあった。講習会も乗り越えた。光明実践委員にも合格できた。新しい単青委員長の誕生にも立ち会えた。もし何もかも自分勝手に辞めて諦めて頑張ることをしなかったら、どうなっていたんだろう。まだ立ち直れずに引きこもっていたのかもしれません。腐りたくなるときもあるけれど、腐らずに地道にコツコツやっていけば、必ず光明は見えてくる。この経験から学びました。そして、今年一番うれしかったことは、自分の誌友会に参加してくれているメンバーが、冬季小学生一日見真会で、初めて司会や班長さんをやってくれたこと。亀田くん、鈴木くんが声をかけ続けてくれたのも大きいですが、当日慣れないながらも頑張っている姿を見て、本当に嬉しく思いました。由衣ちゃん、奈央ちゃん、弘也くんホントありがとう。個人的には光明実践委員にも合格。来年の2月には、15分の講話を発表します。それを経て、誌友会場で講話をすることになるので、2019年もゆっくりしている暇はありません(笑 忙しくクルクル動いているくらいが一番の活力です。

2018年ラストは、このコトバで一年を締めくくりたいと思います。”一人光る、みな光る、何もかも光る。” 陶芸家の河井寛次郎さんのコトバ。まず自分自身がコツコツとやる。そのひたむきな姿に共感者が現れてきて、いつの間にかみな光る。そして、されにそれを徹底して継続をしていると、何もかも光るようになる。ということ。来年の青年会活動もボク自身が率先垂範。背中で語れる伝道師として、嬉しい楽しい魅力あふれる愛知教区青年会を一人でも多くの方に伝えていきたいと思います。一年間ありがとうございました。来年もよろしくおねがいします(*´ω`*)

来年もよろしくにゃー。


会いたいから、会いに行く。家庭訪問交流記。投稿551日目。

会いたいから、会いに行く。家庭訪問交流記。投稿551日目。

先週の土日は、フェスタに行く予定でしたが、講習会も近いこともあって、地元で家庭訪問してきました。かなり長いですが、喜びを書いてみたいと思います。

家庭訪問出発する前から、ありがたいことがありました。行こう!!と思っていたところに、普段なかなか教化部に来られない高校3年生の女の子がひょっこりやってきました。おばあちゃんの所要と大学のオープンキャンパスがあって、こっちに寄ってくれたとのこと。最初、立ち話程度で雑談していたのですが、受験の悩みや勉強のことや楽しいことなどをずっと聞いていたら、何と1時間半も経っていました。帰る頃には、「すっきりしました、ありがとうございます!!日記書いてみます。」と笑顔で帰っていかれました。

あー、いいお話できたなー、さて、今度こそ出発だーと言うところで、最近会えていなかった青年会員さんに会うことに。ここでも30分くらい捕まってしまい、出発が午後からになってしまいました。
土曜の午後からは、1人で訪問。1軒目は、1年ぶりくらいに会う30代の方。居たらラッキーだなと思っていたら、そこのお母さんが、「息子?今いるよ。寄ってく?」と息子さんを外に連れてきてくれました。普段はあまり話すことがないのですが、近況を聞いてうちに、仕事のことでの悩みもありました。気がつけば、お母さんもお茶菓子を出してくれて、「上がっていく?」と家の中へ入れてくださいました。そこで、相手のことを聞きながら「今、ボク誌友会やっているんですよ。たまには、こういうところ来て、お話聞くのもいいですよー。一回来てくださいよー。」と勧めたところ、「んじゃ、仕事終わったら、まっさーさんのところ行ってみます。」と嬉しい返事が。その後も講習会の話もできて、気がつけば、またまた1時間半。帰る頃には、「来てくれてありがとう!!」と行ってよかったなという結果になりました。

もう1件は、留守でまた後日ということになって、ヘロヘロになりながら帰ってきたら、会費を払いに来てくれた子が留守中に見えたとのこと。それが講習会のお誘いでなかなか返信が帰ってこなった人で、早速会費のお礼と講習会の電話をしました。「そういや、こないだ話した講習会の件、どうですか?」「あーごめん返事忘れてた」ってなって「ぜひお願いしますよー」と電話で頼んだら、予定があいていて来てくれることに。次の日に受講券持っていくことになりました。

その後も、お孫さんが青年会員のおばあちゃんがたまたま見えていて、お願いしますよーと頼んだら、受講券2枚もお願いすることができました。ありがたいことばかり!!

日曜日は、Iくんと一緒に訪問。
1軒目が以前、安城誌友会に一度だけ、来てくれた方のお宅へ。家に行くのはもちろん初めて。本人のお姉さんらしき方が出てこられました。本人は不在でしたが、土日ロードバイクでツーリングしていることと、その他たくさんのお話を聞くことができました。岩堤くんが開催している西尾誌友会のお誘いもしました。受講券もお願いしておきました。

2件目は昨日お話していて、受講券をポストに入れにいくだけだったのですが、なんと家が分からない!!「ナビではここらへんなんだけどなー、悪いけどちょっと見てきてくれる?」と周辺を捜索。しかし出ていったIくんが戻ってこなくて、自分も探しにいったところ、住人らしき方に不審者を間違われてしまうハプニング。あわてて、こういうものです。と説明して事なきを得ましたが、なかなか焦りました。その後、反対側に回って、無事に家を発見。本人さんも帰ってきたところだったらしく受講券を渡すことができました。

3件目はユーチューブもやっている男の子のもとへ。
ここは、以前行ったこともあり、相棒も知っているメンバーなので、少しゆったりした気持ちで話すことができました。とはいえ、1時間しゃべって、来年開催を考えている行事の動画編集のお手伝いもお願いして、一緒に頑張っていこうと3人で決意を新たにしました。気軽に話せる相手っていいよね。

4件目は、20代の会員さん。
ここへ行く前に本当は、別のところへ行ってからにしようと思っていたのですが、Iくんの予定があったことと、急に先に行きたいという衝動にかられて、アポなしで行きました。彼女は、以前青年練成会に参加したことがある方で、その後も交流があったりなかったりと途切れがちになることも。連絡しないで、いきなり行って大丈夫かなーと思っていましたが、「えーい、もう行こう!!怒られたら仕方ない。」と思い切っていきました。訪問すると、お母さんが出てこられて、「まっさーさん、ありがとうございます。突然なのでびっくりしました。」と言われながらも、「ご無沙汰してます。Mちゃんいらっしゃいますか?」と話ししていると、Mちゃんが奥から出てきてくれて、外でお話することになりました。「いきなり来てごめんねー。迷惑じゃなかった?」と言葉をかけると、「そんなことない、ずっとお話したいって思っていたので、来てくれて嬉しかったです。」と言ってくれました。実は訪問前に、Facebookの投稿をたまたま見たことがきっかけで、メールしたりラインで連絡をするようになって、徐々に信頼してもらえているのかなと感じていました。でも直接会えたことで、普段聞けないお話も聞けたり、来月もまた顔見にくるね。とフランクな感じでお話できたりと、短い時間ではありましたが、関係性が深まったような気がします。

と、かなり長くなってしまいましたが、この2日間の家庭訪問を経て感じたことは、”いかに直に会って話せるか”と”訪問を恐れるな!!”ということ。最初は足もすくむし、知らないと何しゃべっていいかわからないし、うまくいかなかったらどうしようって気持ちになるけれど、自分の会いたい気持ちが相手に届いて、そこから交流が生まれたり、話せる機会を作ることができるんじゃないかなと感じました。一回行って、良かったら次も行きやすくなるし、まー出たとこ勝負もあるけれど、家庭訪問は楽しいということを伝えたかったです。アツく語りすぎました。

大きなお兄さんも大喜びの2日間でした。

最後まで読んでくれてありがとうございます(*´ω`*)