左手が不自由な男。投稿683日目

左手が不自由な男。投稿683日目

その方と出会ったのは、宇治の一般練成会。
一番最初に参加した練成会だったので、左も右も分からない状況。
もちろん知っている人など誰もいない。大好きだったお肉も出ないことが分かり、意気消沈。本当につまらなかったので、休み時間は研修室で雑魚寝することが多かった。

すると突然、声をかけられた。
「あの~、どこから来たんですか??」
「え?」
何でこんなところで声をかけられるとは思ってもいなかったので、若干顔が強ばりつつも、こう答えた。
「えーと愛知です。」
「どうして来られたんですか??」
何でこの人はこんなにも話しかけてくるんだ。内心、ウザっと思ったが、今から10日間もいるし、面倒を起こすと厄介だと思ったので、応じることにした。
「実は、こういうわけで・・・。」
全く知らない人に話すのは勇気がいったが、誰かに聞いてもらいたい思いがあっったかもしれない。話していくうちに、少しずつ上向きになっていった。

気がつけば、休憩中や食事の時間を一緒にすることが多くなった。
ご飯を食べているときに、ある違和感を感じた。Fさんの左手が全く動いていないのだ。恐る恐るFさんに尋ねた。

「Fさん、左手どうされたんですか??」
「ああ、これはね。」
ある事情で左手が動かないことを知る。
こんな人でも頑張って練成会を受けているんだな。それに比べると、オレの悩みなんて大したことないなと思えるようになった。

途中、何度も帰りたくなりつつも、Fさんや出会ったメンバーのおかげで、最後まで練成会を受講することができた。そういう意味で、感謝しても感謝しきれない。その後、連絡先を交換することなく、時は過ぎていった。

ボクが教化部に奉職してしばらく経った頃。一本の電話がかかってきた。
当時、知っている人も少なかったので、恐る恐る受話器に耳をあてる。
「もしもし~。」
「秋元さん、ご無沙汰してます。Fです。」
宇治でお世話になったFさんだった。
「おおお、Fさんですかー。久しぶりです!! 」
「秋元さん、今どうしていらっしゃるか。気になって。普及誌を見て、教化部に入ったことを知りました~。それでお電話しました。」

懐かしい声に思わずボクの顔も緩む。慣れない教化部での仕事にちょっと疲れていたので、知っている方と話すと嬉しくなる。
「ちなみにFさんは今どうしていらっしゃるのですか??」
「ああ、○○地区で教化部で職員として働いています。」
「えええええええええ、マジですか。」
「言ってなかったっけ?」
「もしかしたら、聞いていたかもしれません。ただあの時はいっぱいいっぱいだったので。でもFさんにお世話になったこと忘れていませんよ。あ、神想観の腰据わりもできるようになりましたから。今度会ったら驚きますよ(笑」
「ははは、楽しみにしていますよ。」

距離は違えど、お世話になった方が同じ教化部職員として頑張っている。
そのことがとても嬉しかった。数年経った今、ボクと同じように悩んでいた子も、宇治の練成会に参加して元気になってくれた。励ましてくれてFさんと同じように。

今も元気で活躍されているでしょうか? あれから、4年。
正座は今でも苦手ですが、講師として誌友会などで講話もするようになりました。ボクが講話なんて、驚きですよね(笑
Fさんからいただいた愛をこれからも忘れずに、頑張っていこうと思います。
またお会いできることを楽しみにしてます。

あなたと握手できる、その日まで。

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