朝10分から始まる聖典のメッセージ200。ただ善のみの実在を信ぜよ。投稿971日目

朝10分から始まる聖典のメッセージ200。ただ善のみの実在を信ぜよ。投稿971日目

「真理は汝を自由ならしめん」ということは、神のみが唯一の創造者であり、神は善であるから、存在する一切のものは善であり、”悪”と見える現象は本来存在しないのである。

それゆえに、人と物と事との背後にある善なる実相を認め、これを拝み、その善のみの実在をみとめ、みとめる”心の力”によって、潜在する善なる相を現象界にまで実現せよ。

そうすれば汝はすべての束縛から解放されて自由になるという意味である。単に真理の本を読んで真理を脳髄で理解しただけで、必ずしも完全な自由が得られるという意味ではないのである。

むろん、真理の書を読めば、”心の法則”や、現象顕現の法則を知り、生活態度が改まって来るから、真理の書を読む以前よりも”悪”に捉われることなく自由になれるのである。

しかし、本当に”完全なる自由”は、神のみが唯一の実在であり、神は”善”であり、実在する力はただ”善”のみであり、”悪”は実在でないから、”善”なる実在の出現とともに、光が出現すれば暗黒が消えるのと同様に、”悪”と見える存在は、本来の”無”をあらわして消えるという真理を潜在意識の底まで徹底的に信じなければならないのである。

谷口雅春先生著『如意自在の生活365章』P304-305

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朝10分から始まる聖典のメッセージ199。円満完全なる実相を自覚せよ。投稿970日目

朝10分から始まる聖典のメッセージ199。円満完全なる実相を自覚せよ。投稿970日目

現象の人間は、すべて完全にはその実相”神の子”を実現していないのである。実相の完全な姿の上に、人類の総合意識の雲が覆って、その実相の完全な姿にしか見せていないのである。

それは雲に覆われた円月のようなものである。ところどころ光は見える。しかし光は完全ではないのである。しかも本当は月を覆う雲はないのである。雲はただ地球を覆っているだけである。

それと同じく”人間の実相”は欠ける事なき”満月”のように円満無礙であるけれども、それを”迷いの心”が雲のごとく、その実相の見えることを遮るのである。

しかしいくら遮っても実相そのものは円満完全である。ただそれが見えないのは、人類意識の雲が遮るだけのことである。

谷口雅春先生著『如意自在の生活365章』P305-306

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朝10分から始まる聖典のメッセージ198。本当に真理を悟れば問題はすぐ解決する。投稿969日目

朝10分から始まる聖典のメッセージ198。本当に真理を悟れば問題はすぐ解決する。投稿969日目

問題が起こって悩んでいる人に個人指導を求められたりするーその問題が”病気”であろうが、”経済難”であろうが、何か他の人の不幸な災厄であろうがーそれは同じことである。

「汝は真理を知らざるべからず、真理は汝を自由ならしめん」とわたしたちはイエスと同じことを言うのである。すべての困難も障害も、神はそんなものを造らないから、本来の意味において、そんなものはないのである。

このことを知ることが真理を知ることである。この真理を本当に知ったとき解決できない問題はないのである。

谷口雅春先生著『如意自在の生活365章』P297-298


朝10分から始まる聖典のメッセージ197。今ここに内在の浄土がある。投稿968日目

朝10分から始まる聖典のメッセージ197。今ここに内在の浄土がある。投稿968日目

神想観を実修するのは”神の国”が今”ここ”に”自己の内”にすでにあることを全身全霊をもって体感せんがためなのである。”内在の浄土”を即身そのままに顕現せんがためである。

イエス言わく、「神の国は此処に見よ、彼処に見よというが如くに非ず、汝の内に在り」と。また釈尊は「極楽はここに距る事遠からず、観ずればあらわれる」と教えられたのである。

仏耶の説き給うこと、ともに真実であるがゆえに軌を一にして、共通しているのである。今ここに”内在の浄土”があり、”内在の神の国”があるのである。

谷口雅春先生著『如意自在の生活365章』P296

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朝10分から始まる聖典のメッセージ196。肉体は”かりもの”ということ。投稿967日目

朝10分から始まる聖典のメッセージ196。肉体は”かりもの”ということ。投稿967日目

わたしたちが真理を悟ったとき、肉体は「かりもの」とわかるのである。
(中略)

肉体は霊魂が地上生活を去る時、神様にお返しするーといい、その神さまというのを大自然のことに解すれば、まことにその通りである。すなわち霊魂が去れば、肉体は分解して大自然の要素に還元するのである。
(中略)

それは「肉体」は人間の実相ではなくて、それは仮相すなわち”かりのもの”であるという意味である。そしてそれは、人間は肉体に非ず物質にあらず、霊であるという意味である。そして肉体は”霊なる人間”が地上生活を営む一時期だけ大自然(神さま)から借りた作業服だというわけである。

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朝10分から始まる聖典のメッセージ195。神の国に波長を合わすこと。投稿966日目

朝10分から始まる聖典のメッセージ195。神の国に波長を合わすこと。投稿966日目

いくら、善い番組の放送が「テレビ局」から放送されていても、それを現実に視聴し得る姿にあらわすには「波長を合わす」という一事を忘れてはならないのである。

放送番組そのものは、すでに電波に乗って今そこにあるといえども、波長を合わすことがなければわたしたちはそれを現実化することはできないのである。それを実行するにはテレビセットの扱い方を知らなければならない。そのためには説明書を読まなければならない。

それと同じく、既に実在する”内在の神の子”を現実にあらわすにはその説明書すなわち「真理の書」を読み、その通りに実行しなければならないのである。

それを読んで、どこへ心の焦点を合わすかということを知り、その教えの通りに実行しなければならない。

谷口雅春先生著『如意自在の生活365章』P287-288

神様の方向へ波長を合わせてまいりましょう。
そして教えを必ず実行しましょう。頭だけで考えるのではなく、行動が伴うことが大切です。
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朝10分から始まる聖典のメッセージ194。われらは常に進歩し向上する。投稿965日目

朝10分から始まる聖典のメッセージ194。われらは常に進歩し向上する。投稿965日目

種子から発芽した発芽した植物の新芽が徐々に生長して美しい葉をひろげ、茎や幹を伸ばし、枝を繁らせてついに蕾をもち花を開くようになるのは、すでに種子の中に宿っていた「精神的原型」が時間・空間の秩序の中に展開しつつあるのである。

人間が進歩向上して行くのも、やはりこの植物の種子の中にある”理念”が展開して行くのと同じであって、外から附加したものが展開して行くのではないのである。

むろん、植物の生長にも、肥料を与えることが必要であるのと同じように、人間の進歩向上にも、外から栄養物質や、精神的教養を与えることは必要である。

しかし、どんなに肥料の成分を変化しても、朝顔には朝顔の花が咲くのであって、藤の花や、桜の花が咲くのでない。(中略)”真理の教育”によって、内在の完全さに波長を合わせて、それを顕在にまで引き出すようにしなければならない。

谷口雅春先生著『如意自在の生活365章』P286-287


朝10分から始まる聖典のメッセージ193。顛倒夢想を遠離すること。投稿964日目

朝10分から始まる聖典のメッセージ193。顛倒夢想を遠離すること。投稿964日目

すべて「迷い」は執着より生じたる「心の痙攣状態」である。「心の痙攣状態」が消えたら「迷い」はないのである。

「心の痙攣状態」は「ないもの」を「ある」と思い、「本当にある実相」を「ない」と思い、「本来ない現象」を心が執着して引っかかるから起こるのである。

「ないもの」を「ある」と思い、「本来ある完全な実相」をないと思うのは、それはサカサマであり、「夢」のようなものである。『般若心経』では「迷い」のこと「顛倒夢想」といっている。

(中略)

「本来ない現象」を「あり」と妄想して執着する心を捨離することによって、三世の諸仏は実相の彼岸に到達することができたというのである。

谷口雅春先生著『如意自在の生活365章』P279-280

迷いは自分の心が作り出したものであり、本来はないのである。
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朝10分から始まる聖典のメッセージ192。”迷い”は本来ないのである。投稿963日目

朝10分から始まる聖典のメッセージ192。”迷い”は本来ないのである。投稿963日目

竜宮・無限供給・常楽の世界に入るとき、損得の世界を超えるのである。そのためには現象界の事物に対する執着を捨てなければならないのである。

「迷いはどこから来たか」の問題は、「迷い」というものが外から訪問して来たというような意味ではないのである。

自分が現象界の事物をアリとして引っかかり執着する「心の状態」が”迷い”であり、どこから来るのでも、どこにあるのでもない、ある種の心の状態にすぎないので、「引っかかる念」を棄てたら「迷い」はないのである。

現象界の事物をアリとし、それが失われたとして、心が煩労している限りは、”迷い”という心の状態は消えないのである。

谷口雅春先生著『如意自在の生活365章』P277


朝10分から始まる聖典のメッセージ191。実相世界を竜宮界に譬えて。投稿962日目

朝10分から始まる聖典のメッセージ191。実相世界を竜宮界に譬えて。投稿962日目

実相世界は、現象世界にくらべて超高度の周波数の世界であるという意味において、高きものを仰ぎ見る感情を表現に含めて、これを”天”または”天国”と称するのであるが、これを現実世界が出生する元の”根底の世界”であるという意味において「生みの底」(海の底ー出生の根底)を象徴する語を用いて「竜宮界」または「竜宮海」というのである。

超最高度のコトバ(音)の秘められている世界であるから多くの「音姫」が奉仕している世界であるように神話では説かれているのである。「音姫」の奉仕を自由に駆使するとき、竜宮無限供給の宝蔵が現実世界に姿をあらわすことになるのである。

谷口雅春先生著『如意自在の生活365章』P270

実相世界は完全円満。
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