朝10分から始まる聖典のメッセージ125。「自分」というもの。投稿896日目

朝10分から始まる聖典のメッセージ125。「自分」というもの。投稿896日目

「自分」というものは「自分のもの」ではないのである。何故なら「自分」は神の自己実現であるからである。「自分」というものは無く、「神のもの」が「自分」なのである。

「自分」というものが、「自分」のものでなく、「神の自己実現」であるならば、自分にとって必要なものはそれを神が必ず与えたまうことは当然のことなのである。

しかし、「自分」が、神の意志から外れて、放蕩息子のようになるならば、謂わば人間の親が、放蕩の息子を「廃嫡」して遺産相続の権利を剥奪してしまうのと同じように、神の護りが一時的に中断したように、その人は窮地に立たされる事もあり得る訳である。

谷口雅春先生著『新版 栄える生活365章』

自分というのは肉体の自分ではなく、私たちは神様から与えられた素晴らしい存在であると説かれています。

だから必要なものは、必要に応じて神様が与えてくださったり、何かを教えてださる機会が往々にしてあります。

素直に受けるときは良いのですが、邪な気持ちだったり、神様との波長が合わなかったりするとき、窮地に陥る場合があります。

だからこそ常に神様に波長を合わせ、自分は素晴らしい神の子である、と日々繰り返し祈ることが大切です。静かに目を閉じて心のうちに神様を想いましょう。

さて、今日はどんな喜びに出会えるでしょうか。
今日も明日もこれからも最高の人生を歩んでいきましょう(^^)

自分の殻を破りましょう

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