土(つち)。投稿645日目

土(つち)。投稿645日目

今朝から耳元でリピートするコトバがあった。
「背中で語る伝道師であれ。」
これは某練成会で講師の先生が言っていた。簡単にいうと、コトバで語らずとも自分が率先垂範することで、みんなに伝えていく。ということだ。

”コトバは語らずとも背中で伝える。”自分もこれが美徳であると思っていた。
ボク自身が営業マン時代、厳しい先輩の背中を見ながらやってきた。誰も教えてくれない。知りたかったら自分で聞きに来い。技は自分で盗むもの。そういう人が多い中でやってこれば、自然と考え方もそうなってくる。

でも今は違う。笑顔で語る時代。思ったことをコトバにして自分の気持ちを伝えていく。SNSが発達してきた今、”語らずとも分かるだろう”という阿吽の呼吸的なものは通じない。長い付き合いを除けば別だが、日常関わっている程度だったらなかなか難しいところがある。

「こう思っているだろう。」「今はああいう感じだから、こう感じろ。」
見えない背中に書いてあるのだから、自分が回って見にこいと伝えているようなものだ。今の時代、誰が好き好んでそうするのだろうか。

だったら短くとも笑顔で愛語・讃嘆・感謝のコトバを伝えたほうが良い。最近になって、ようやく気づいてきた。ハッキリと伝えてくれる方の存在ほど心強いものはない。

先日、どなたかが上げていたか忘れたが、影山知明さんという全国NO.1になったコーヒー店のオーナーさんが書いてある記事を見て、すごく共感した部分があった。

スタッフやお店を訪ねてくれる人、さらには一つ一つの好奇心やアイデアは「種」で、僕はそれを受け止める「土」であれたらと思っています。 土自体が何かをするわけではないんですけど、土がないと種は芽を出すことができない。
僕はそこに何か干渉して無理に芽を引っ張っていこうとは考えないけど、それぞれがどういうタイプの種か感じられるところはあるので、きっかけを与えたり、「こういうことをやったら向いているんじゃないの?」と提案したりはします。

影山知明さんのインタビュー記事より抜粋。

ボクがやりたいと思っている究極のカタチがコレ。
正直ここまではやれていないが、下地作り(土壌作り)は必要だと感じている。それが青年会という居場所を通じて、成長や経験をしてもらうための土壌。
種があっても、良い土壌がなければ植物は育たないし、花も咲かない。

でも、この土壌を作るのは誰もやりたくない。大変なのが分かっているからだ。土を耕し、ならしていく。誰も見ていないところでコツコツとやっていく。その土台作りの役割を果たすのが、自分なのかなと思う。

土がしっかりとしていれば、安心して種を巻き、みんなで適度に水をあげて、肥料をあげて、時間をかけて丁寧に育てていく。そうすることでようやく花が咲く。丁寧に丹精込めてやっていけば、必ずカタチとなって現れる。大変だけどやりがいはすごくあります。

すべての人が笑顔になっていく。すべての人がシアワセになっていく。
出会った人、これから出会う人の支えであり続けたい。シアワセの花が咲くことを願って。

みんなの支えとなって、見守っていきたい。



コメントを残す

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。