偉大なる、本部講師の先生から学んだこと。投稿554日目。

偉大なる、本部講師の先生から学んだこと。投稿554日目。

忘れてはいけない出会いと別れがある。僕が生長の家に入って一番お世話になった濵山正幸先生。昇天されて、今年で2年となります。過去に先生へのメッセージを書いているだろうなと探していたら、こんなことを書いていました。

昨日、ボクが最もお世話になった濵山正幸先生の通夜に参列しました。11月の時にお会いしたのが最後でした。思えば1年前、何も分からないボクが初めて教化部へ行ったとき、たまたま先生がいらっしゃいました。そのとき宇治の研修生を終えて、青年会の存在を知り訳も分からないままの訪問。そんなボクのことを温かく迎えてくれて「よく来てくれた。」と合掌して握手をしてくれました。それから講習会やいろんな行事を通じて濵山先生に色々と教えていただきました。クルマで送っていくときも本の話や誌友会の活性化、青年会のこれからなどをとてもアツく語ってくれたことが印象に残っています。また講習会後に目標を見失ったボクに先生は、「今は伸びてないように見えても、着々と毎日伸び続けている。だからしっかりと生長の家の教えを学んでいけばいいんだ。」と力強く指導していただきました。困ったときはいつも相談に乗ってくれた濵山先生。そんな先生に相談することも、もうできません。このまま進んでいけば大丈夫ですよね、きっと。弱音を吐くボクはきっと見たくないと思いますから。まだまだお話したいことや書きたいことはいっぱいありますが、涙で前が見えなくなるのでこのへんで。濵山先生、お世話になりました。悲しみを胸に先生の分まで今日を精一杯生きていきます。ありがとうございました。

今これを見返してみても、やっぱり泣けます。だから、今年も先生へのメッセージを書きたいと思います。

濵山先生、ありがとうございます。12月になると先生との出会いと別れの季節を感じます。体調を崩されたと聞いて、心配ばかりして、先生の元へすぐに馳せ参じることができなかったことが今でも心残りです。教化部に来られなくなる数ヶ月前、先生をご自宅に送り届けた際にネクタイをいただいたのを覚えています。「秋元くん、好きなのを持っていっていいぞ。」「え、でも先生のものですけど、いいんですか?」「ああ、たくさんあるから、持っていってほしい。」 そう言って赤いネクタイ含め3本ほどいただきました。それから、すぐに先生は旅立ってしまいました。あのときほど、ツラく悲しいものはありませんでした。

先生から指導いただいた、青年誌友会も今では多いときで10人を超えるようになりました。青年会事務局長を拝命してからは、先生がボクにしていただいたように、温かく迎えるようにする立場にもなりました。それでも、「よー来たなー。」とか「おー◯◯ちゃん、ありがとね。」という自分なりの愛情表現で接しています。高校生や若い子にもクマさん扱いされるのはご愛嬌ですね(笑

ボクが目指していた誌友会。あたたかい仲間に囲まれて。

先日は講習会もありましたが、終わったあとも見失うことなく、出会った方や、これから出会う方とのご縁を結ぶ活動、青年会活動に邁進できているのかなと思います。「今は伸びてないように見えても、着々と毎日伸び続けている。だからしっかりと生長の家の教えを学んでいけばいいんだ。」 この言葉があったからこそ、変化を感じにくい日々のなかでも頑張って来られたのだと感じています。そして、念願だった光明実践委員にも合格できて、いよいよ生長の家の御教えを伝える側になりました。辞令を濵山先生からいただくことが夢でしたが、鈴木教化部長も大変素晴らしく、尊敬する先生のお一人ですので、拝命できる喜びを感じたいと思います。愛知教区青年会も若い20代の子たちが誌友会を発会したり、新しいメンバーとの交流が増えたりとありがたいことばかりです。

青年会事務局長として、縁の下、陰のきついところ、色んなことに対応しなくてはならないことも多いですが、教化部に来られる方、誌友会や家庭訪問でお会いした笑顔の数が、今の自分を支えています。ですが3年後は、後進に譲って、この喜びを引き継いでくれる青年にバトンタッチします。もしかしたら早くなるかもしれませんが、、、その時まで頑張ります。長々とブログを書いていると、また涙が溢れてしまうので、今年もこのへんで。喜びを胸に先生の分まで精一杯生きていきます。ありがとうございます。


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