恩師への手紙。投稿509日目。
恩師 濵山正幸先生へ
ブログで先生への想いを綴るのは、反則なような気がしますがやはり書かずにはおられない自分がいたので、こういう形で書きたいと思います。先生が亡くなられてからちょうど1年が経ちましたね。本当にこの1年あっという間でした。4月に青年会事務局長代行を拝命してから、さらに自分の取り巻く環境が大きく変化していきました。出会った頃に比べて自分は成長しているでしょうか? 先生から見たらまだまだヒヨッコかもしれませんね。
以前に比べたら悲しみはなくなったもののやはり濵山先生の存在は今でも大きいものです。先生から学んだことはたくさんあり、心に留めておかなければならないことがいっぱいありました。
歩くのもやっとの先生を車で知多のご自宅まで送っていくことがありましたね。先生宅まで高速を使って約1時間程。マンツーマンで個人指導を受けられることのできる大切な時間でした。
青年会で自分が行っていることや悩んでいること、自分がこうしていきたい夢などを気がつけば濵山先生に熱く語っていました。すごく体調が悪いにもかかわらず、ボクの話を最後まで聞いてくれて
運転中だったけど涙で目頭が熱くなって、嗚咽ももらしたことがありましたね。
振り返ってみると、濵山先生から学んだことで一番印象に残っていることは、「地元の青年誌友会を毎月しっかりと開催すれば、必ず伸びてくる。」ということでした。
ボクが開催している誌友会が発会したばかりで、人が全然集まらなかったとき「先生、どうしたら人が集まりますか?」と聞きました。
「少ない人数でもいいじゃないか。1対1でも素晴らしい。そして何よりも毎月きちんと開催することが大切なんだ。もし2ヶ月や3ヶ月に1回の開催だったら、参加している子が悩んだりツラいときの心の拠り所がないだろう。
だったら、毎月同じペースで開催するからこそ、その子のためになるんだよ。そして地元が活性化する大きなものになる。」
あれから1年と6ヶ月。その教えを忠実に守り、どんなに毎月大変でツラいときでも2会場欠かさず行っています。参加人数に多少変動があっても「今月も来ましたよ。」とか「悩んでむしゃくしゃしていたけど、ここに来るとすごく元気になるんだよ」という言葉がすごく心に響いています。ああ、こういうことだったんだな、先生が言っていたことは。時間はかかってしまいましたが、毎月の小さな喜びがきちんと積み重なっています。
特別なことは何もしていません。ただ毎月いつもと同じように同じ雰囲気で参加者を迎える。仲間達にも恵まれてものすごく幸せです。この喜びは自分だけのものではなく、人へと伝えていくことが先生への恩返しになるんだろうなと最近ふと感じます。
実は先生が亡くなられた時、まだ聞きたいことがあったのに、まだ話したいことが山ほどあったのに。一体これからどうしていいのか。あの時は胸が張り裂けるほど苦しかったし、涙も出たし、辞めようとさえも思いました。それでも続けてこられたのは、”人についていくことではなく、生長の家の真理についていくこと。だからいつまでも先生の死に悲しんでいてはダメ。”と、とある講師から厳しくも愛情あるコトバで言われたことでした。弱っていた自分を救ってくれたのは、只の人ではなく生長の家の教えを学んだ素晴らしい人でした。生長の家に入って本当に良かったなと実感しました。
先生が蒔いた真理の種は青年会を通してボクから色んな青年へと伝播しています。10月に開催した青年練成会も100名を超える大盛会で新しい会員も増えました。かつて先生が「練成会で大道場をいっぱいにできたらどんなに嬉しいか。」と言っていた
コトバが本当に現実となり、かつてないほどの熱気が溢れかえっておりました。先生の後任で入られた鈴木教化部長にも、「よく頑張った。素晴らしい。」と褒めてくださいました。濵山先生との送り迎えから学んだことがこんなにもすごいことに
なっていったことが本当に嬉しくて仕方ありません。
「ここで生長の家の勉強をしっかりとしなさい。」その言葉を信じて、教化部職員となって今月で2年目が終わり、来年3年目を迎えることになりました。ありがとうございます。
来年も再来年もきっと先生に感謝している自分がいると思います。先生の教え子の名に恥じない活動をこれからも行っていきます。
青年会事務局長 秋元 雅晴