朝10分から始まる聖典のメッセージ117。既に幸福はあなたのもの。投稿888日目

朝10分から始まる聖典のメッセージ117。既に幸福はあなたのもの。投稿888日目

わたしたちは病気や不幸や一切の災禍を予防したり、それらを除くために”祈り”や”思念”を用いるけれども、”祈り”や”思念”がそれらの災厄を除くのではないのである。

”祈り”や”思念”によって神が動かされて、其の救いが発動するなどと考えては間違いである。

祈りや思念というものは、唯、自分自身の心が、なお一層神の方に振向き、なお一層神の救いの霊波と波長を合わせるための下準備なるところの「心の調律」にほかならないのである。

今此処に「幸福」が来ているのに、それが現実化しないのは、それに波長を合わせないからにすぎない。波長を合わせれば現実化する。その波長を合わす方法が祈りであり神想観である。

谷口雅春先生著『新版 栄える生活365章』P171-172

祈りに始まり、祈りに終わる。
私自身の生活が祈りによって、朝が始まり、寝る前に祝福の祈りをもって一日を終えるようにしています。

祈りは神様に、○○をください、○○を望んでいます、というようや願望やお願いということを考えがちですが、本来は違います。

唯、自分自身の心が、なお一層神の方に振向き、なお一層神の救いの霊波と波長を合わせるための下準備なるところの「心の調律」にほかならないのである。

ひたすらに神様の方に心を振向けて、実相の完全さを祈る。我の心を捨てるとき、神様との波長が合い、神の救いが現象化してあらわれてきます。

一日一回は神様に心を振向けて、心を整える時間を作ってまいりましょう。
さて、今日はどんな喜びに出会えるでしょうか。
今日も明日もこれからも最高の人生を歩んでいきましょう(^^)

幸せをかみしめて

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