朝10分から始まる聖典のメッセージ㉘。他の人を癒やす神想観。投稿799日目

朝10分から始まる聖典のメッセージ㉘。他の人を癒やす神想観。投稿799日目

「彼を癒やしたまえ」と念ずるよりも、「彼の中に神の完全なるいのち流れ入り満ち満ちて、一点の曇りもなく、彼の全存在が、既に健康の光で照り渡っているのである」と念ぜよ。

その「念」が「彼」と別々に存在するような観じ方をしないで、彼の「全存在」と「神の完全なるいのち」とが”不可分の一体”として重なり合っているように心に描いて念ずるがよいのである。

神は決して、悪しき事、病める事、乏しき事、不調和な事などを造りたまわなのであるから、そのような不完全な状態があらわれていても、それはただの夢まぼろしに過ぎない。本来無いのである。

谷口雅春先生著『新版 希望を叶える365章』P279

相手の完全さを祈るとき、私達の念波によって癒やすのではなく、既に相手の本体にある素晴らしいものが現れているんだという気持ちで祈りなさいと説かれています。

自分が癒やしの念を送っているのだから、あとは任せた〜!!のではなく、祈られた本人が完全円満で素晴らしい神の子の自覚を得られるような祈り方が大切なのだと改めて気が付きました。祈り方一つ取っても学びの深い教えですね。

さて、今日はどんな喜びに出会えるでしょうか。
今日も明日もこれからも最高の人生を歩んでいきましょう(^^)

ありがとう、ありがとう。私は既に幸せです。

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