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習慣を振り返る。投稿651日目

習慣を振り返る。投稿651日目

21日間習慣化プログラムが始まって2週間。
折り返し地点に来たので、今までの取り組みを振り返ってみたいと思います。
初日にこんな目標を立てました。

今回習慣化したいことは、このブログの継続・毎日青年会全国大会のオブザーバー21人に声をかける、そして愛の連絡の3つです。愛の連絡とは、訪問がなかなかできにくい状況の中で、毎日1人、合計21人に電話もしくはメールで丁寧に近況など聞くことです。

初日に書いた決意より


21日間習慣化プログラムの内容や想いについては、下記のリンクをご覧ください。

1)ブログの継続について→○(新しい喜びが生まれた)

今のところ、毎日できている。1月6日からスタートしたが、今日で連続70日目を迎えた。トータルでは651日目。塵も積もれば山となる。

どこで書く時間を捻出しているか?
朝、仕事が始まるまでの45分と昼の休憩時間の30分。計75分。
この2つの時間を使って、なるべく一本書き上げるように努めています。

心理学で「締め切り効果」というコトバがあります。
次の予定などが入っている場合、時間内に終わらせる必要がある。その間はものすごい集中力を生み出すそうだ。75分で書き終えないと、帰ってからたくさん書かないといけなくなる。夜に書きたくないので、一所懸命書く。

朝からものすごい勢いでタイピング。何をしているんだろうとこの人と思うかもしれないが、そんなのはお構いなし。自分が好きでやっているのだから。
あまりにも集中しすぎて、般若のような顔をしているとよく言われます(笑

職場への移動中に「今日、何を書こう。そういえばこんなことあったな。」とパッと浮かんだことを書く。振り返りを書こうと思った理由は、T委員長の自発的な振り返り投稿を見た影響から。
決してブログのネタが無かったわけではないことを付け加えておきます(笑

書き続けて気がついたことがある。毎日の習慣となるベース(柱)ができることで、おのずと自分の生活を見直すきっかけが生まれたこと。毎日ブログを書くために必要な時間を捻出する。色々と予定もあったり、個別対応が入るときもある。

そこで一日のスケジュールを見直すことにした。
すると大半が夜遅くにブログを書いたことに気づく。23時にブログ執筆。25時完了。これでは朝起きるのもツラいし、自分の時間も確保できない。そこで思い切って、朝と昼の75分で書く。という〆切を設けた。限られた時間の中で、集中して書けるようになった。

また、一人一人に向けた感謝シリーズから喜びの輪が広がってきた。
笑顔になれました。文章に共感をもてました。泣けました。相手の喜びを書いているのに、逆に書いた相手から喜びをいただく。

先日もある教区の方を書きたいとお願いした。以前ならこんなこと絶対にできなかった。しかし「秋元さんが書いているやつですよね?恥ずかしいけどいいですよ。」と快く受けてくださった。Wさんありがとう〜。

発信から新たな可能性が誕生した。感謝シリーズもついに全国編に突入しそうです。 このブログがこの先どうなるのか、今からワクワクが止まりません。

2)毎日青年会全国大会のオブザーバー21人に声をかける。→△(声かけの形を変えた。)

コロナウイルスの影響という理由で逃げたくはないが、ほとんどできていない。むしろどうやって声をかけていこう。今、どうしたらこの状況を乗り越えられるのだろうか?そのことで頭がいっぱい。そこを考えるだけでも労力がいる。

そこで毎月10日前後にやっている感謝と近況確認のメールをいつもより心をこめて送るようにした。通常の連絡に、一言・二言を添える。

その甲斐もあってか、昨日行われたオンライン誌友会で、卒園した小学校6年生の女の子が参加することにも繋がった。
「今日は皆さんとお話できて楽しかったようです。ありがとうございました。」と保護者の方から嬉しいお礼のメールもいただいた。オブザーバーの声かけは難しい状況ですが、こういう形で繋がりを築くようにしています。

3)愛の連絡。 →△ (スキマ時間を利用してメールを送る)

毎日1人、合計21人に電話もしくはメールで丁寧に近況など聞くこと。これも毎日できていない。ただ空いた時間を利用してメールをするように変えた。
この空いた時間というのが結構大切で、まとめてやろうと後回しにすると絶対にやらない。5分でも10分というスキマ時間の積み重ねが習慣へとつながる。”ベビーステップ”と呼ばれる手法。

コロナウイルスの影響でピリピリしていると思うので、なるべく相手の負担にならないように聞く。みんな外に出られていないだけで、思ったよりも元気!!という返信が多かった。

また電話が苦手と言っていた子が、電話してもいいよー。と言ってくれるようになった。ちょっとした関係性の変化なのだが、素直に嬉しい。

以上が自分の振り返りです。
特に3月前半は、思ったような活動ができなくて、自分自身の気持ちが負けそうになることもしばしば。できていないことのほうが多いです。

立てた目標が大きすぎたり、あまりにも生活の負担になりすぎていると感じたら、ちょっとゆるめたりしても良い。アクセルとブレーキを駆使することでクルマや自転車は動く。人間も同じでいいのではないでしょうか。事実そうすることで、続けられていることもあります。

ボク自身も日々変わりゆく生活のなかで、やり方も考え方も変化しています。
しかし根本にある「人間は神の子で素晴らしい」という真理は永遠に変わりません。これを胸に秘め、残り7日間も笑顔で頑張っていこう。あとちょっとだ。

振り返ればオレがいる。

聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥。 投稿625日目

聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥。 投稿625日目

今週土曜日から月曜日にかけて、冬季中学生・高校生練成会を開催します。
ブログはどうするの?と思われるかもしれません。ただ行事中は書けないので、今日の休みを利用して、事前に3日間分書きます。

近頃、分からないことを事前に聞かない人が多い。例えば「分からないことがあったら、ちゃんと聞いてな。」と伝える。すると「分かりました。また聞きます。」と返ってくる。

直前になって、色々とヤバくなると決まって出るのが、「こうなることを教えてくれなかったじゃんか。」「忙しそうにしていたので、聞いて良いのかどうか分かりませんでした。」というコトバ。まぁ、分からんでもない。ボクも経験した。

サラリーマン時代、一番苦労したのが相談することだった。初めて携わること、何も分からないが多い1年目~2年目。物事を進めていくためには、まずは先輩に相談して指示を仰ぐしかなかった。

「あの○○について相談したいのですが・・・。」
「おう、今忙しいからタイミングを見て、声をかけてこい!!」
「俺はもう帰るから、明日にしてくれ。」
と相手にされず、「分かりました。また明日にでも相談します。すみませんでした。」と次の日も同じように聞く。決まって帰ってくる答えは、同じだった。

逆に何も相談しないでいると、「何で相談してくれなかったんだ。」「ちゃんと話してくれたら、もっと早く対応できていたぞ。」と怒られる。相談しても相談しなくても怒られる。

あまりにもムカついたので、「てめぇ、この野郎。お前のタイミングで聞いてこいって言うから、待っていたのに。何だその言い草は。」と喉元まで出掛かったことがあった。というか出た(笑

誤解の無いように言うと、切れ味がするどいナイフのような人間ではない。我慢が出来なかった。今は多少マシになった。成長するためには、怒ってばかりいても仕方がないのだ。

忙しいときこそ、思いやる。それは大切。でも、思いやりすぎて聞かないのはもっとダメ。年下だろうが年上だろうが、グイグイいかないといけないときはある。分からないのを分からないで済ませると、しっぺ返しが来る。 ウザいくらい聞くくらいがちょうどいいのだ。取り返しのない失敗をするよりは。

やること・日程・段取りは決まっている。そこに向かっていくアプローチは、年上や先に携わっている人のほうがよく知っている。自分が分かる範囲は経験でカバーできるが、分からないことがあれば素直に聞いたほうが、物事はスムーズに行く。変なプライドなどいらない。とにかく聞け。

ボクもわからないことがあれば、年下だろうとバンバンと聞く。恥ずかしさはあるが、これも人生学校の訓練なのだ。何度も言う。ウザいくらい聞け。そうしないと前には進まない。

聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥。
知らないことを人に聞くのは、そのときは恥ずかしいと思っても、聞かなければ一生知らぬまま過ごすことになるので、そのほうが恥ずかしい。 知らないことを恥ずかしがったり知ったかぶったりせずに、素直に聞いて学ぶべきだという教え。このコトバを聞くたびに、そうだよなって思う。

今日はちょっとマジメな内容になってしまったな。
そんなお前は、今日誰に感謝するかって? ウザいくらい聞け!!と叱ってくれた先輩達かな。

聞いたら分かる。聞かないと分からない。

カラダの大きな男。投稿613日目

カラダの大きな男。投稿613日目

今日の主役!?ではない(笑

今日、書くのはこの男のことではない。繰り返す、この男ではない(笑
感謝シリーズ5人目。

そのカラダな大きな男と出会ったのは宇治。初めての練成会。右も左も分からない状況で仲良くなったのが、Sさんだった。「どこから来たの?」「何のために練成会に来たの?」などすごくフランクに話しかけてくれた。
知らない場所に初めて来た私にとって、とてもココロ強い存在だった。分からないこともSさんに聞くと、色々と教えてくれた。その後、練成会に喜びを感じたボクは、住み込みで真理を学ぶ研修生になった。

ありがたいことに、Sさんと同じ時期に研修生をやることが分かった。全然知らない人の中でやるよりは、誰か一人知っていたほうがすごく心強い。色々とここでも助けられた。

ところが、あることがキッカケでボクはSさんから目をつけられるようになった。廊下や色んなところですれ違うたびに無視をされたり、休憩中に寝っ転がっていると、重たいカラダで踏みつけられることもしばしば。草を狩るナタで切りつけられそうになることも。

一番ひどかったのが、お風呂に入って、シャワーを浴びていた時に、いきなり冷水をかけられたことだ。しかし、生長の家では「天地一切のものに感謝せよ。あらゆる出来事は自分のココロの現れ」とおぼろげながらに言われていたので、反論したくても我慢した。

ところが、次第にエスカレートすると、さすがに堪忍袋の緒が切れた。
練成会中にSさんの胸ぐらをつかみ、「てめぇ、このやろう。ふざけてんじゃねーぞ。何でオレばっかり攻撃してくんだ。もうお前殺してやるわ。」と面と向かって言った。すると、相手も「おめぇのことがむかつくんだわ。」と応戦。

練成員さんがいる前で、つかみ合い取っ組み合いの大げんか。その後、中講堂で輪読会があったのだが、ボクはボロ泣き状態。相手もボクの予想外の反撃に意気消沈状態。そんな状況で輪読するものだから、本なんて読めたものじゃない。Sさんと顔を合わすのが嫌だったから、部屋には戻らずに、中講堂でその日は寝た。

もうこんな状態で研修生はやれない。ボクはもう辞めます。とN先生に相談すると、生命の実相16巻を出して「ここを読みなさい。」とだけ言われた。
もっと言いたいことはあったのだが、迷惑をかけてしまった以上は言う通りにするしかないと思い読んでみた。家庭光明寮のお話だったと思うが、それを読んでみると、何故かココロが落ち着けた。

オレが悪かったんだ。気まずいけどあいつに謝ろう!!と翌日、掃除をしているSさんに「色々と迷惑かけてすまん。」と伝えると、「そんなんで許すわけねーだろ。」と返された。こいつぜってーに殺したる。と思ったが、我慢我慢。
来る日も来る日も顔を合わせていくと、「オレも悪かったよ。もうこれきりな。」と言ってくれた。そこから和解の神想観をしたり、ぎくしゃくしながらも話ししたりと少しずつ関係性を修復していった。

まぁ、色んなことがあったけど、生長の家の基本的なことや神想観の呼吸法など、少なからず彼から教わったのも事実。それが今でも活かされていることはボクにとってやはり必要な存在だったのだ。心からSさんに感謝したい。

今日は、感情があらぶって、えらい書いてしまった。それだけ、あんたのことがキライだったけど、好きだったってこと。また会えるのを楽しみにしてる!!