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すべてはここから始まった。投稿652日目

すべてはここから始まった。投稿652日目

この内容は、愛知教区青年会のブログに書く予定だった。
更新が滞っていたこと、何か一つでも良いことを書きたいと感じていた。
ただ、書き始めてみると生々しいリアルな描写の数々。結局、自分のページで書くことにした。

過去の自分

小さい頃から生長の家をやっていたかと言うと、そういう訳ではない。
母親が布団の近くに理想世界という薄い本を置いたり、鞄の中にお経を入れたりしていた。その度に、破ったり投げ捨てたりしていた。なぜこんなことをするのか、中高生の自分には分からなかった。

小学生の頃はいじめられ、中学生の時は女子から総スカン。日陰のような生活を送っていた。漫画を読んで人生良くなるくらいなら、死んで人生リセットしたほうがいいと思っていた時期もあった。

死にたくて、死にたくて、何もかもがイヤになる。
その割に誰かに認められたい。見てもらいたい。
なぜオレのことを誰も構ってくれないのか?
なぜ自分のことに目を向けてくれないのか?
そう思うたびに、人と接するのがイヤになった。

生長の家に触れたのは、31歳。当時、仕事で行き詰まり、うつ病に近い状態を
煩った。朝起きようと思っても、起き上がれない。カラダ全身に痛みが走る。3日間くらい家でうずくまっていた。会社から電話があっても出る気力すらない。

あいつは死んでしまっているのではないか?と同僚が朝・昼・晩と尋ねてきた。
インターホンを鳴らしまくる。出たくない。やめろ。と心がざわつく。
悲しいことにおなかだけはすく。人が尋ねてこない深夜に飯を買いに行き、人目を避けてこっそりと帰ってくる。

自殺の仕方や楽に死ねる方法などをインターネットで検索。死ぬ勇気が無いくせに、そういうのを異常に見る。暗い本ばかりを読み漁り、自分がいかにクズだと言うことを理解するために、暗い方向ばかり向いていた。

最終的に母親が地元から出てきてくれて、涙ながらに「お願いだからあけてちょうだい。」と悲痛の叫びをインターホン越しに伝えてくる。さすがに開けないわけにはいかなくなり、ようやくボクの籠城は終わりを告げた。

籠城から数日、とにかく病院に行くことを勧められた。
しかし病院に行くと異常がない。また精神科にも勧められて行ったこともあった。「オレが精神科?弱いやつが行くところじゃねぇか。」と思っていた自分が一番弱っていた。精神科に行ったときも、色々と問診してくれた。

はっきり言って何を言われたのか覚えていない。
鮮明に覚えているのが、「あんた休んだほうがいいよ。何ヶ月休みたい?」と聞かれたことだ。「え?一日でも早く復帰したいんだけど。」と伝える。

結果、大量の抗うつ剤とともに、2ヶ月休養と告げられた。
診断書を持って職場に向かったとき、自分のすべてが否定された気がして、本当に悔しかった。

生長の家?

長い夏休みをもらった感覚だ。ただ仕事漬けの毎日だったので、大量に休みをもらってもどうしていいか分からなかった。

最近、親孝行をしたことがなかったな。と気がついた。
いつも仕事で忙しく全然帰っていなかった。こういう時くらいはどこかへ連れて行こうと思った。
「お袋、どこか行きたいところはある?」
「山梨に行きたい。」
「山梨?ここから4時間以上あるけど、何があるんだ?」
「生長の家の本部が新しくなったので、見に行ってみたい。」
「あー宗教??行きたくないよ。そんなところ。他のところへ行こう。」
「うーん、そうよね。」とめちゃくちゃ困った顔をしたので、
「あー分かった。連れて行ってやるから、その本部に電話しといて。」
もちろんこのときは教化部という存在も知らなかった。
今、思えばよく電話して直接行きますと言えたな。
母の行動に感謝すら覚える。

自分とは違うセカイを見た

「ご神像があるのでそれを目指してください。」
「え?ゴシンゾウ?もう一度お願いします。」
「ご神像です。白い大きな像が建っているので、それを目指してください。」
何でいちいち命令されないといけないんだよ。
「あー分かりました。目指してみます。」
長いことクルマを走らせる。しかし全然見えてこない。
だまされた?と思ったが、ようやくそれらしきものの近くについた。

「えー、なんだこれ。ここかよ。静かなところだな。」
「お袋、ついたぞ。こんなところに来たかったのか?」
愛知から4時間。ほぼノンストップだった。
森に囲まれた場所。静か。うーん、退屈しそう。

玄関が見えた。
「すみません、昨日電話したものですが。」
「ありがとうございます。お待ちしておりました~。」
手を合わせて、ニコニコとやってくる男女。
「あぁ、お袋が来たがっていたので。ボクは付き添いです。」
「そうでしたか~。よくお越しくださいました。こちらへどうぞ。」
と色々館内を案内された。

詳しい内容は覚えていないが、自然を大切にしていることを強調されたことは残っていた。オレの職場とは全然違うし、雰囲気は悪くないなと感じた。

しばらく周りを紹介していただいたあと、
「以上になります~。このあと食事を用意してありますので、お待ちください。」と伝えられた。ご飯まで用意してくださっているのはありがたかった。

「あぁ、すみません。お言葉に甘えます。」感謝のコトバを口にしつつも
「もうご飯食べたらさっさと行こう。帰りたい。」と母に伝えた。
そこから二度と行かない。と心に決めた出来事があった。

何かの呪文が流れると、一斉に周りの人たちが手を合わせはじめた。全員が同じポーズ。何でご飯の時にこんなことやるんだよ。やっぱりやべーじゃん。ここ。居心地が悪すぎるわ。とさえ感じていた。

帰る頃は、恐らく顔がひきつっていた。
「今日はありがとうございました。」とぎこちない笑顔で伝える。

もちろん、母に対して「あんなところヤバいところから、もう行きたいなんて二度と言うんじゃないよ。」とキツくあたったのは言うまでもない。

それでも休職期間はまだまだ余っていた。
キツく言ってしまったボクはバツが悪かったので、こう切り出した。
「お袋、次に行きたいところはある?」

(・・・続く。)

ここからはじまる。

今こそ金内会長にお礼を伝えよう。投稿646日目。

今こそ金内会長にお礼を伝えよう。投稿646日目。

「そうだ、ボクが金内会長の良さを書けばいいんだ!!」
職場へ移動中、こんな思いがこみあげてきた。OKがもらえても、もらなくても書こう。怒られたら怒られたでもいい。こういう状況だからこそ、今やらねばという強い気持ちであふれていた。

ただ、人のことを書く以上、いきなりはマズいと思ったので、金内会長に「すみません、書かせていただきますがよろしいでしょうか?」とメール。快くOKをいただけた。写真もOK。まさか会長のことを書くとは自分でも思ってもいなかった。

金内崇幸青年会会長と出会ったのは、2015年の青年練成会。ボクが生長の家青年会の行事に参加したのもこれが初めてだった。確か講師で来られたと記憶しているが、講話の内容はあまり覚えていない。

鮮烈に覚えているのが、最終日の食事の時間。ボクは本部から来ている先生ということしか知らなかったが、せっかくなので話してみたい気持ちになった。

宇治で練成会を受けたこと、研修生をやっているときに青年会の存在を知ってここに来たことなどを一通り聞いてもらった。終盤になって、「ボクは今休職期間中なんですが、この先どうしたら良いですか?」と尋ねた。しばらくして「神様の御心のままにですね。うまくいきますよ。」とだけ教えてくれた。

”神様の御心のままに”というコトバが当時そんなに好きではなかった。後は自分で考えて行動しなさい。というふうに思っていたので、どこか冷ややかな印象を感じていた。

でも聞いてもらえたことが嬉しかったので、「分かりました。頑張ってみます。」と気持ちは軽やかだった。まさかその1ヶ月後に、教化部職員として第2の人生を歩むとは思いもよらなかった。

一番印象深かった出来事がある。2017年の講習会。
ボクにとっては初めての講習会推進だった。事務局として頑張っているものの、色んなことがかみ合わず、推進がうまくいかない、自分一人だけがモヤモヤしていた。委員長にもかなりドキツく言ったような気がする。周りにも何とか頑張ってほしいと気持ちで接していた。みんなにも迷惑をかけたような気がする。
でも愛知という見えない看板を背負っている以上は、何とかしなきゃという思いがあった。胸に去来するのは、自分は一体何のためにやっているのか?

そのとき、金内会長のことが頭に浮かんだ。なぜか分からないが、この人だったらどう答えてくれるのだろうか。また今の状況をどうしても聞いてもらいたい思いが一心にあった。いてもたってもいられず、夜遅くに中央部に電話した。

するとたまたま電話に出られたのが、金内会長だった。
一発目に本人が出るとは思わず、最初はコトバが出なかったが、思いっきり話し始めた。金内会長は黙って聞いてくれた。恐らく30分以上は聞いてもらったと思う。
「すみません。長々と喋ってしまって。もう帰る時間でしたよね?」と聞くと「いえ、大丈夫ですよ。大切な青年会の仲間の一人ですから。」と話してくれた。確かこの時は、会長自身もめちゃくちゃ忙しかったはずだ。それでもボクの話を熱心に聞いてくれた。一人の人間として向き合ってくれた。

今こうやって画面に向かって書いているが、自然と涙がこぼれてくる。目をあけるのがやっと。でも振り返ってみると、それぐらい聞いてもらえたことが嬉しかった。その経験もあってボクもなるべく親身になって聞くようにしています。

それから色々な研修会や、全国大会、練成会、発表の場を通して、金内会長にお会いする機会が多くなった。いつでも金内会長は会うたびに声をかけてくれる。肩をポンポンと叩きながら、コトバ少なげに。何度も寄り添っていただいた。
きっと全国の青年の中にもそうやって声をかけていただいた方もいると思います。

誰よりも青年のことを思い、誰よりも青年会のことを好きでいてくれている。一人ひとりと真摯に向き合う。こういう人がいるだけでやる気に満ちあふれてきます。

最近は、コロナウイルスの影響で色んな状況が一変した。今までできていたことができなくなり、自粛や制限があるなかでの活動。毎日、明るいブログを綴っているが、現象的にはキツくなった。その中でも光明面が見えたことがあった。これをうまく活用すれば、今の現状を打破できる。

そう感じていたが、ある出来事に不満を持ってしまった。最初は書くつもりはなかったが、気がつけば自然と書いてしまっていた。気持ちがマイナスに向かっていたのもあったかもしれない。どうすることもできなかったし、どうしていいかも分からないのも分かっていたが、 半分意見、半分愚痴に近いような感じだった。

そして次の日。一本の電話がかかってきた。相手は金内会長だった。まさか昨日のことか??会長自ら連絡をしてこられるとは思っていなかった。
この時も20分か30分、話を聞いてくださった。3年前と変わらず、真剣にあたたかく。

本部と教区。距離が離れているので、ちゃんとボクたちのことを考えてくれていないのでは?と思うことがあった。それは青年会事務局にいる立場の人ならすごく分かるのではないでしょうか。メール・文章だけでは距離はなかなか縮まりにくい。でも自分も誤解していることがあった。

金内会長は誰よりも青年のことを考えてくれている。青年がやりやすいように色々と模索してくれている。自分が鈍感だったのかもしれないが、率先して、愛をもって丁寧に変わらず接してくださる。人がしてもらえて嬉しいことを会長自ら率先して行っている。これに感動しないわけがない。

今は未曾有の状況で、何をどうしたらいいか分からない日々が続く。
それでも立ち向かっていかないといけない苦しい時期。だからこそ今、金内会長にお礼を言うべきなのかなと感じた。かつて、会長にしてもらった嬉しいことを今度は自分がやる。というか、これを読んでいるみんなにもやってもらえたら、きっと会長も元気がみなぎってくるはず・・・。どうすれば一番伝わるのか?これがボクが出した答えです。

金内会長も今は青年会会長という立場ですが、同じ仲間だと思っています。信仰を通じて出会った仲間。偉そうに聞こえてしまったらすみません。でも一緒にやっていきたい気持ちは、表現できていないだけで心のなかにはあります。

「神様の御心のままに。」
ボクの人生の中で金内会長と出会ったことは大きな財産です。きっとこれを読んでいる方にもそう思っている方が見えると思います。
いつも親身になって寄り添っていただいてありがとうございます。なかなかこうやってメッセージを伝えることってあまりないですよね。

金内会長は普段静かな方に見えますが、誰よりもアツい情熱をもっているイイ男です。自分が青年会活動をやれるのは、金内会長のおかげだと感じてます。距離が離れていても、実は一番身近な存在であり、本当に頼れる素晴らしい方です。
同じ環境で働いている、金沢さん、林さん、原田さん、松尾さん、うらやましいです。

よく、「会長は本当にすごい!!」と言うのを聞きます。そのコトバ通りです。
皆さんが言っているか分からないので、ボクが書きました(笑

金内会長!!会長の周りには全国の青年がたくさんついています。
みんな会長のことが大好きです!! いつもありがとうございます。大切な青年会の仲間の一人として、色々と忙しいとは思いますが、これからもよろしくお願いします。

初めて出会った時も今も変わらない、金内会長の温かさがそこにある。