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信頼残高。投稿716日目

信頼残高。投稿716日目

青年会全国大会が中止となった。という連絡が入ったのは3日前。
世情を見ると、今どんなイベントや状況になっても致し方ないという判断になる。ある意味、どうにもならない部分はある。

問題はここから。推進をさせていただいた人へ中止の連絡を入れないといけない。発表を聞いたときは真正面から受け止めたものの、「さてどうやって伝えようかな。」とそればかりが頭をよぎった。既に2回の延期の連絡をして、3回目の連絡が中止という結末。

「今まで仕事などで参加できなかったけど、オンラインになったこの機会に全国大会を味わってほしいです(*^^*)」
「青年会全国大会って参加したことないと思うけど、何か○○さんにとってプラスになることはあるからさ、一緒に見ようよ。」
「青年会にとっても、保護者の皆さんにとっても素晴らしいものですから、ぜひ参加してもらえるとありがたいです!!」

色々と相手の立場や顔を思い浮かべながら、一人ひとりコトバを変えてお伝えしてきた。今までは参加が難しかった相手も、保護者の皆さんも青年会全国大会を楽しみにしていたと思うが、ある意味ボクを信頼してくれて申し込んでくれた部分もある。それぐらい、信頼・日々の積み重ねを重視してきた。

だから、毎回延期だったり断りの連絡を入れるたびに何倍のフォローもしてきた。生長の家の信徒さんは優しい方も多いが、コトバに出していないだけで、もしかしたら不満を持ってしまった人もいるかもしれない。

スティーブン・コヴィの著「7つの習慣」に、信頼残高という表現がある。我々は、日々のコミュニケーション、人間関係において、その信頼残高を貯めている。

そして、何かしら、その信頼の点で失敗したりすると、それが引き出され、残高が減る。引き出し額が、あまりにも大きいと、いっきにマイナスになる。それが、「信頼を失うのは一瞬」の瞬間である。

インターネット投稿より抜粋

何が怖いかというと、信頼関係を失うのが最も怖い。それをイヤというほど経験してきた。
だから、「ここから、アカウント登録ができるのでお願いします!!」と言っていた3日後に「このようなことになってしまい申し訳ありません。」と伝えないといけないのがどうしても納得いかない。自分たちのこれまでの頑張りを否定されてしまっている気がする。おいおい、それはないだろう。と言いたくもなる。

ただ、金内会長が動画で真っ先にメッセージを伝えてくださった。いつも先頭に立ってすべてを受け止めてくださっているので、応えるしかない。ここでオレがやらなくてどうする。何とか会員さんに状況を伝えて理解をしてもらえるようにもう一度頑張ろうと思う。

そして本日改めて中止のメッセージを送らせていただいた。ここから色々なことも言われるのも覚悟している。無言のメッセージ、既読スルー。様々あるが、またここからしっかりと向き合っていこう。

ちょっと愚痴っぽくなってしまいましたが、気持ちは前向きですからご安心を(*^^*)

信頼は日々の積み重ね。

後輩。投稿715日目

後輩。投稿715日目

今朝、不思議な夢を見た。
営業マン時代の後輩がバリバリと働いている。何とも不思議な光景。
「秋元先輩、何やっているんですか??」そこでハッと目が覚めた。

入社5年目くらいで初めての後輩ができた。
どちらかといえば、一匹オオカミ行動することが多かった私。同行営業といって新人を横に乗せて、一緒にお客さんを訪問する。ボクはこれがすごく苦手だった。

後輩に自分のやっていることを見せる。自分が築き上げてきた営業のやり方を見せる。もしかしたら、変なことを突っ込まれてしまうのではないか。他の先輩とやり方が違うけどいいんですか?と言われる心配があったからだ。

ボクの上司と言えば、30代で人生経験も積んできたベテランばかり。かたや5年でまぁまぁやってきた人間。5年目になっても、怒られることは日常茶飯事。
自分が教えられることなんてあるのだろうか。なめられるのがイヤで変に虚勢を張っていた。

たとえば、後輩が困ったことや失敗したことに対して、手を差し伸べたり、フォローしたりすることはなかった。誰かを助けることで、自分の人生が少しでも良くなるのか。プラスになるなんて一ミリも思わなかった。

今のボクを知る人からすれば、冷酷非情な姿。生長の家を学んでいると、それは大きな間違いなことに気がつく。 あの時の自分に言ってやりたい。お前はそのやり方をしていて、一つも成功していないぞ。むしろ自分自身をウソで塗り固めていて、かっこ悪いぞ!!

自分が尊敬する先輩は、いつも親身になって聞いてくれた。自分のことを二の次にして、どうしたらいいかを一緒に考えてくれた。だから、記憶に残るのはそういう人ばかり。

その人たちに近づけるように、目の前の相手に対して向き合うようにしています。恩を仇で返されることもありますが、今までの自分が行ってきたこと・通ってきた道と思って自分の経験を伝えたいと思います。

ボクが前の会社を卒業してから、4年。あの後輩も経験を積んで立派な営業マンになっているのだろうか。稼ぐこと、成績をあげることがすべてだったあの頃。生長の家を通して学んだことは、天地一切のものに感謝。すべてはこれに尽きる。後輩Yの活躍をこれからも祈る!!


『さんらじ』の魅力。投稿714日目

『さんらじ』の魅力。投稿714日目

毎朝5時45分から15分間配信しているラジオがある。その名は『 さんらじ 』。
決してサンデーラジオモーニングの略ではない。何の略かを聞こうと思って忘れてしまった(笑

朝から起電力を高めて元気に出発するということを狙いとしている。
元々は朝のあいさつ運動から始まった。ZOOMの部屋におはよう!!と挨拶を交わして出発する。それだけで一日のスタートは違ってくる。
色々な方が挨拶をしたり、時には語り場のようになって交流を深めたりとしていくなかで、オンラインでの配信も始まったようだ。

その、『さんらじ』に日曜日の朝、参戦した。決して、まさはるくんのオンラインラジオのPRや乗っ取りなどは企てていないことを先に伝えておく(笑

Tさんという青年会への想いがアツい方がいるのだが、その方から、一度参加して欲しいとラブコールをいただいた。むしろ、まさはるくんのオンラインラジオに誘ってみたら、逆に誘われたと書いた方がいいかもしれない。

迷った。さんらじに自分がついていけるか不安もあったが、Tさんからお声がかかったら、断る理由がない。「分かりました!!明日にでも行きますよ。」

日曜日の5時10分。いつものように瞑想をスタート。5時40分に参加すればいいので、時間的にはかなり余裕があった。しかし、そんな日に限って瞑想が深いところまで浸透していき、気がつけば5時32分!!

やべー、遅刻したらどうしよう。慌てて聖使命菩薩と大調和の神示をかなり早口で唱えた。もちろんココロは穏やかに。人間やればできるもので、開始3分前にはパソコンの前に座ることができた。

ここまでさんらじの魅力を一つも書いていないのでそろそろ書こう(笑
誘ってくれたTさんが既に入っていて、「来てくれてありがとうございます。」と言ってくれたときは、やっぱり嬉しかった。

他の参加者にはサプライズ的になってしまったが、え?今日はどうしたの?とか何でいるの?とイジられることもなく、普通に歓迎された(笑
うちのラジオのノリと違うことをすっかりと忘れていた。いかんいかん。

今日はフリーテーマということで、潮流ねっとわーくでの講話の話になった。結構、みんな真剣に話していた。ゆるやかな朝の時間だったが、この15分という短い中にも真理とそれぞれの想いが交錯していた。

配信が終わったものと生で参加するのでは全然違う。後日配信ものを聞くと、みんな朝が弱くてテンションが低いかなとちょっと思っていたが、実際に参加してみると、一人一人が丁寧に考えてメッセージを発していた。

ボクの場合、会話が止まったりすると、周りを見て、場を盛りたてて行こうとすぐ考えてしまうが、『さんらじ』は違う。お互いがお互いを思いやり、短い時間の中でこそ出せる魅力で溢れていた。

参加者全員が思いっきりしゃべりたくなるのをガマンして、主体的に話を聞こうと努めていた。さしずめ、誌友会終了後の座談会のような雰囲気。適度な距離感と温度感。これを毎日行っているのだから、頭が下がる。

そんな日曜日にお会いした皆様への感謝のメッセージで締めようと思います。

男性のTさん、お声かけしてくれてありがとうございます。次はボクと1対1でサシラジしましょ(笑

女性のTさん、近々行きますと言って、本当は次の日行くのが決まっていました(笑 内緒にしていて、ごめんね~。

Yさんのトーク、キレがあって結構好きなので、また楽しみにしてます。誌友会もよろしくです!!

そして、Uさん。毎日『さんらじ』の配信、ご充実様です。噂のさんらじに参加しましたが、お行儀良くできていましたかね?(笑
ってのは冗談で、とても楽しくおしゃべりできました。またサプライズで行きます。これからも続けてくださいね。

Aさん・Tさん、喋られなかった。すまぬ(笑
また今度お相手してくださいませ~<(_ _)>

結論『さんらじ』は聞いてみても面白いが、参加すると面白いし、自分にとってもプラスになります。百聞は一見にしかず。飛び込めば、新しい世界が見えてくる。 さぁ、5時45分は『さんらじ』へGO~!!

タメになる15分

信仰の力が試される。投稿712日目

信仰の力が試される。投稿712日目

先日、仕事から帰る途中に電話が入った。
詳細は書けないが、 電話口の相手は、切羽詰まっている様子だった。
「困っているので、助けて欲しい。」

電話で話しているときに、気がつけば行動に移していた。 どうすれば良いかと頭の中で考えるというよりも体が勝手に動いていたという感覚。 瞑想しているおかげなのか、神様の導きというものは不思議だ。

毎朝、瞑想が終わると、聖経『甘露の法雨』の冒頭に書かれている聖使命菩薩讚偈と大調和の神示を拝読する。その中に、「・・・命の限り衆生救済に身を挺し、心を致し資を捧げて、人類救済の誠を尽くさんと誓える・・」という一説があります。

平常時のやり取りは、お互いに気持ち的にもゆとりがあって問題ないのだが、緊急時はそうは言っていられない。こういうときこそ、信仰の力が試される。そう感じた。

仕事終わりで疲れがないわけではなかったが、黙々と目の前のことに向かい、久しぶりに無我献身を発揮させてもらった。

後は本人のことを祈る。どれだけボクや周りの方が助言をしても、やるのは本人。普通だったら諦めてしまいそうになるのだが、続けてきたその先に必ず光るものはある。その光景を何回も見てきた。もう信じるしかない。
この気持ち、相手にも分かってもらえる日が来るといいな。

全く変わっていないように見えるかもしれないが、心で認められたものが出てくる世界。人によってスピードは違うが、この経験をもとにその方の素晴らしさが現れてくることを切に願う。

全托あるのみ

ちょっとあいつの家に寄ってみるか。投稿711日目

ちょっとあいつの家に寄ってみるか。投稿711日目

先日、仕事でどうしても外出することがあった。用事が終わった後、ある青年宅を訪問した。ここ最近、連絡が取れなかったので、帰り道に少し寄ることにした。

大抵は連絡してから訪問することが多いが、ここに行くときはアポ無しが多い。居れば話す、居なければ、また来ます。というスタイル。
インターフォンを鳴らす。玄関の奥から足音が聞こえる。良かった、今日は居るな。

何回も訪問していると、不思議とこれだけで居るか居ないか分かる。玄関が開く。「おお、○○くん!!!元気してた??」
「いつも来るときは突然ですね。すぐ分かりましたよ。」と言われながらも、

「いやー、いつも電話してから行こうと思うんだけど、気がついたらお前の家の近くにいるんだよ。」と笑顔で答える。
なかなか電話に出ないのは知っているので、飛び込みで行くしかない。それもお決まりの訪問パターン。

「まぁ、ちょっとノドがかわいたから、お茶を飲みに来たんだよ(笑 それで、最近はどうしているの??」
「ああ、最近はね・・・。」 などと雑談をかわす。

数ヶ月会っていなかったのだが、話す出すと久しぶりの感じがしない。
コロナウイルスの影響もあるので、玄関近くの窓を全開にして、お互いに距離を離しての会話。しかしながら、ココロの距離は以前と変わらない。

「少し寄っただけだから、すぐ帰るわー。」と10分から15分にしようと思っていたが、気がつけば長居してしまった。そういえば彼も話したがりだった。近況と言えば、短期間ながらバイトを始めたそうだ。

「働くのが、めっちゃ楽しいんですよ。」と笑顔で語る彼はイキイキとしていた。
「おお、マジかー。勤労の喜びはいいやろー。バイト代が出たらオレにおごってくれよ。」
「なんでやー(笑 」

こんな冗談も言いつつ、話が弾んだ。今の状況からすれば訪問することは最善ではないかもしれない。でも神様から与えられた、”ふとした”導きは、結果的に一番良いようになっている。と言う。
その導きに素直に従ったとき、そこには素晴らしい喜びが生まれる。わざわざ会いに行ってよかったな。Iくん、時間を作ってくれてありがとう!!

青年の目は、キラキラと輝いていた。

あなたに会えてよかった。投稿710日目

あなたに会えてよかった。投稿710日目

「今日は来てくれてありがとう!! また来てね〜。」
金曜日、教化部に来店があった。午前・午後に一人ずつ。コロナウイルスで自粛ムードだったが、こうやって誰かと対面で話せることはありがたかった。
ここ最近、事務所内も静かなのが当たり前だったが、その時ばかりは賑やかになった。

「今から教化部に行きますねー。」と彼からメールが来たのは11時すぎ。どうやら移動の途中に寄ってくれるとのことだった。めずらしいなと思っていたが、会うのは久しぶりだったので、とても楽しみにしていた。

「最近、どうですか??」色々と近況を聞いていくうちに、少しカベにぶつかっていることが分かった。入って来られた時は、いつもの様子だったが、話していくうちに分かってくることもある。

そのカベは、自分自身ぶつかったこともある経験だったので、自分の体験を交えながらお伝えさせていただいた。
話し終わって出ていくときに、「あー、やっぱり寄って良かったです。ありがとうございます。」と言ってくれたときは、誰かのために役立っているんだなと嬉しさがこみ上げてくる。

とはいえ、夕方くらいに気になったので、フォローメール。
すると電話がかかってきた。電話口の彼は声がとても弾んでいた。
「いや〜思ったよりもうまくいきました。」自分が思っていた以上の行動ができたようで、そこから30分、彼と喜びを分かち合った。元気になって良かったと心の底から感じた。

もうひとりは、対面で会うのは半年ぶり。お母さんの用事で来店したそうで、緊張した様子だったが、ボクと顔を合わせると笑顔で手を振ってくれた。

先週、「連絡できなくてごめんなさい。」とメールが届く。こちらからどうしてる?元気にしてる?と送っていたものの、ずっと反応がなかった。
「最近、携帯を変えたんですよ。だからLINEも以前と変わったかもしれません。」とお母様から聞いていたので、これから連絡取るのが難しいなと思っていた矢先だった。

嬉しさを噛み締めながら、メールをやりとり。後日、電話で話すことになった。久しぶりにボクと話したせいか、最初はしどろもどろの敬語を使っていた。

「あー、○○ちゃん、いつもの感じでしゃべっていいよー。」というと徐々にリラックスして話してくれるようになった。気がつけば2時間もしゃべっていた。ボクとしゃべると、女友達と話ししているような感覚になるらしい。つまり時間を切らないといつまで経っても話し込んでしまう(笑

いつもと変わらない彼女の様子と頑張っている姿がとても伝わってきて、有意義な時間を過ごせた。

話は戻って、彼女との対面。ここでも気がつけば1時間も話してしまった。取り留めのない話をしていただけなのだが、不思議とキャッチボールが続いた。
コロナウイルスが落ち着いたら、会いに行く約束をしていたのだが、思わぬ形で彼女と再会できたのは嬉しかった。

お母さんがお使いを頼んだと言ってくれていたが、きっとボクと話すキッカケを作ってくださったのかもしれない。そう思うと日頃からの交流の大切さが身に染みる。いつもありがとうございます。

1日で2つの喜びに遭遇したのだが、対面で話すってやっぱりいい!!
先日ブログで書いたとおり、温度感・空気感が全然違う。オンラインがどうしても主流になってくるとは思うが、やはりアナログもまだまだ捨てたものではない。
というよりも、これが当たり前の日常と思う。それまでは繋がりを切れてしまわないように頑張っていこう。一日でも早くみんなと会えることを信じて。

いつもと変わらない笑顔との再会

リアルとオンラインの距離感。投稿709日目。

リアルとオンラインの距離感。投稿709日目。

緊急事態宣言が解除され、日常生活を徐々に取り戻しつつある。
コロナウイルスの様子を見つつ、可能であれば6月下旬から7月にかけて会員さん宅への訪問再開を考えています。ただし、コロナ第二波が少し心配です。

ボク自身の持論として、人との交流=対面に勝るものなし。とずっと考えていた。相手と直接向き合うことで得られたものも多く、次に繋がったこともあった。会えないなら、こちらから会いに行く。それが当たり前だった。

図式でいえば、対面>電話>メール・SNS。
会うことでその人のリアルな様子や状況が鮮明に分かってくる。メールや電話で言えないことも、話を聞いていくうちにココロを開いてくれることもしばしば。だからこそ、対面での会話を大切にしてきた。

ただコロナウイルスの影響もあって、その図式も変わりつつある。
オンライン(映像)>電話>メール・SNS>対面。オンライン(映像)での比率が高まってきたのは、言うまでもない。

コロナウイルスの感染拡大防止により、会わない・密集を避けることが基本となった。会いたい・話したい相手がいる場合は、ZOOMやラインなどを使ったオンラインでのやりとりが増えていった。

直接行けないなら、会いにいける場所を作って待ち合わせをする。時間を決めて入室。待ち時間0秒。ある意味、画期的な訪問スタイル。これを導入してからはかなり楽になった。

ドラえもんの道具で、どこでもドアというものがあります。もしかしたらこれに近い感覚なのかもしれない。行きたいところを指定して、ドアを開けるとすぐにアクセスできる。わざわざ時間をかける必要もない。

対面がまだまだ危険な状態では、このスタイルが普通になってくるだろう。でもこれに慣れてしまっていいのだろうか?そんな疑問が湧いてくる。
オンラインのやり取りが苦手で、家まで行って会ってきたメンバーとの交流が今できない状況の中、こればかりになるといよいよ関係性が希薄になる。特に会わない時間が長ければ長いほど、疎遠にもなりがち。

対面では、相手の空気感、雰囲気などから分かる部分も大きいが、画面に向かって話すスタイルは、本当に知りたいこと・必要なことを知ることが難しい。

直接会って話せば、お茶を飲みながら、相手に合わせて話を切り出すことができる。ただ、オンラインになると、画面に向かって焦点を合わせていかないといけないので大変なことも多い。つまり良いところもあれば、悪いところもあります。

また最近思うのは、オンラインのやり取りが増えてきて、簡単になってきた分、ネットに繋がない時間、心の休息も必要だということ。
事実、オンラインのイベントが重なっていたので、終わったあとは反動で逆に疲れてしまった。暇になるか?と思われていたが、予想以上に忙しくなった。

簡単にできてしまうので、用意もいらない。どんどんとやりとりが多くなる。結果、ココロにゆとりがなくなってくる。

だからこそ、敢えて予定を入れない。という予定をカレンダーに書き込んでいます。そうしないと常に誰かから求められてしまうことになってしまう。簡単すぎるがゆえに、オンラインでのデメリットとも向き合っていかないといけない。

話が脱線してしまったが、対面が一番?と問われれば、今でもYESと答えるだろう。だが、生活様式が変わりつつある中、リアルとオンラインのバランス・距離感が求められてくる。

どちらにしろ、一日でも早くコロナウイルスが収束して、今までどおりの活動ができることを切に願う。


口・耳・目・手足、そして心。投稿708日目

口・耳・目・手足、そして心。投稿708日目

先日、中高生の保護者から嬉しいメールが届いた。
「今月の封筒のコトバも素敵でした。いつも、娘と楽しみにしてます。」

毎月、青年会事務局から送っているお知らせ。封筒の左側にはいつも前向きになれるようなコトバを書いている。

封筒に毎月書く、善いコトバ。

「口 」 は 、 人 を 励 ま す 言 葉 や 感 謝 の 言 葉 を 言 う た め に 使 お う ! 「 耳 」 は 、 人 の 言 葉 を 最 後 ま で 聴 い て あ げ る た め に 使 お う !
「 目 」 は 、 人 の よ い と こ ろ を 見 る た め に 使 お う !
「 手 足 」 は 、 人 を 助 け る た め に 使 お う !
「 心 」 は 、 人 の 痛 み が わ か る た め に 使 お う !

元中学校体育教師 腰塚 勇人氏 『5つの誓い』より

郵便物を送ってもなかなか開けてもらえない実情があります。
事務局を経験している皆さんならこの気持ちは分かってもらえるかと思います。
そこで始めたのが、封筒の余っている部分を利用しようと考えた。

ただ、続けていると、これを読んでもらえているのか?送っても意味がないんじゃないか?という気持ちが芽生えるときがある。そんな時にこうしたメールをもらえるとココロがほっと温かくなる。

毎月どんなことを伝えようかと探したり、考えたりするのは時間がかかります。しかしながら、コトバの使い方は無限大なので、その時その時出会ったステキなコトバをこれからもお届けしたいと思う。

誰かのココロに寄り添えるように。


誌友会ってやっぱりいいな。投稿707日目

誌友会ってやっぱりいいな。投稿707日目

今月も2つの誌友会と出講1つが終わり、残すところはあと1つの出講。
秋元さんに来てほしい!!と頼まれ、講話の準備のさながらブログを綴っている。オンラインとなっても、お呼びがかかることは嬉しい限りです。

今週の木曜日に、安城青年誌友会をZOOMで開催しました。
3月から数えると、3回目。回数を重ねるごとに、喜びが増しているのが伝わってきます。いつもなら地元や近いメンバーでしか集まることができないが、オンラインになると気軽に参加できる。

もちろんお誘いしたり声をかけるのには目的があります。
誌友会を通して、色々と喜びを感じてもらいたい。ここに来たら、元気になってまた日々の生活でも頑張ってもらえる。それを心がけています。

今だからしかできないオンラインの交流から、生長の家の信仰や真理を学んでほしいし、誰かと繋がる喜び、愛を感じてもらえたら嬉しい。

特に疎遠になったりすると、もういいや!!誰も私のことなんて気にかけてくれないんだからとなりがち。寂しさだけが募ってしまう。その経験をしたことがあるので、短い時間でも喜んでもらえたらありがたい。

参加してくれた皆さんとの記念撮影。

嬉しいことが2つあった。
先日まで顔出しが苦手なMちゃんが、普通に顔を出してみんなと話してくれたのだ。ずっと前に出るのが得意ではなく、人前で話すのも苦手だった子が、緊張しながらも自分の口で話す。聞けば自分自身の生活、考え方も最近変わってきたらしい。

この姿を見て、今までお話や訪問を続けて良かったと心の底から思えた。
人は愛を持って接すれば必ず変わる。悪いように見えても、必ずその奥に素晴らしいものが隠れている。いつも彼女へ教えていたつもりだったが、実はボク自身が教えてもらっていた。彼女の変わりように、涙があふれたのは内緒だ。

今回、あまりお話したことがなかったAちゃんを思い切って誌友会に誘った。理由は直感。誰でも誘うことはしたくないのだが、ここのメンバーと交流をして元気になってもらえたら良いなという願いがあった。

いきなり声をかけて大丈夫かな〜?とメールを送るのを迷っていたが
「ぜひ誌友会参加したいです。行きます!!」と予想以上の返答。
もしかしたら直前に気が変わるかもしれないなと感じていたが、時間通りに参加してくれた。他のメンバーとも楽しそうに話していたのが印象的だった。

人と人とが交流する場所をつくることで、会話やお互いの様子を知ることができる。たった1回、されど1回の誌友会。
これを毎月欠かさずに継続する。確かに大変。事前の準備や打ち合わせ、どうやったら参加者に喜んでもらえるかなど考えることもたくさんあります。

でもその先に喜びは必ずあるし、たった一人でも次の開催を待ち望んでいる人がいたらシアワセだとボクは思う。その繰り返しがオンリーワンの誌友会を作っていく。

Aちゃんから後日「来月も参加したいです!!」とメッセージをいただいた。
色々と彼女の得意なことを知ることができたので、時間を見つけてはメールで良いところや感想を伝えるようにしています。誌友会を通じて、話すキッカケが生まれました。

オンラインで開催できる日数は限られてしまうけど、Aちゃんはじめ出会ったすべての人に来てよかったと思ってもらえるようにこれからも頑張っていこう。
来月も笑顔の花が咲くように。


ブックカバーチャレンジ最終日『生長の家の信仰について』投稿706日目

ブックカバーチャレンジ最終日『生長の家の信仰について』投稿706日目

やはり今の自分があるのは、生長の家に触れたからだ。
ブックカバーチャレンジチャレンジ最終日。

谷口清超先生著『生長の家の信仰について』。

なぜこの本にしたかというと、行き詰まったときに恩師が示してくれた一冊がこの本だったからだ。ユーモアあふれる書き方と豊富な体験談・時事情勢から真理を説いてくださっている。

谷口雅春先生の著書は霊的部分で書かれていることも多く、ちょっとやそっとでは理解するのが難しいところもある。それを分かりやすく伝えてくださっているのが、清超先生だ。

以前にも書いたことがあるかもしれないが、前々回の講習会後に自分の行くべき道を見失ってしまったことがある。生長の家に就職したのに、自分のやりたいことができない、求めている信仰が得られないことへのギャップがあった。

正直言えば、教化部を何度辞めたいと思ったことか。自分はここで本当に必要とされているのか。そう考える日々がたくさんあった。

そのときに、当時の教化部長からアドバイスをいただいて、読み始めた本がこの『生長の家の信仰について』。この本をボクの席の横に座って、輪読してくれたのだ。

仕事中だったのだけど、ボクの想いを察してくれたのか、読んでは解説を入れていただき、生長の家の信仰の素晴らしさを伝えてくれた。その姿勢に涙したのを今でも覚えている。

正直言えば、ここに書かれていることは、宇治でも学んでいたので分かっているつもりだった。しかしながら、分かった!!と思った時点では本当に分かっていない。とよく言われます。

「信仰は、触れたときは素晴らしい教えと知ってグングンと伸びる。だが、日を重ねていくことに段々となれてきてしまう。自分はもう伸びないんじゃないか。とか、これ以上やっても仕方ないんじゃないか。って。でも見えないところでは成長している。だから、神様を信じて三正行を続けて行きなさい。」

恩師のコトバを聞いて、時間があるときには聖典を読みふけった。意味が分からないところもあったが、読み続けていくうちに自分自身も少しずつ元気になっていった。

あれから3年。恩師は既になくなり、自分自身も青年会事務局長を拝命し、また光明実践委員として、指導する立場にもなった。まだまだ知らないこと、やれていないこともたくさんある。

しかしながら、この本を見るたびに、恩師がお話してくださったことを思い出す。 「見えないところでは成長している。だから、神様を信じて三正行を続けて行きなさい。
一見、現象的には何も変わっていないように見えても、神様はきちんと見てくださっている。気持ちが腐りたくなるようなときこそ、神様を信じ、祈りかつ行動しよう。日々の積み重ねが大きなところへたどりつく第一歩。

「生長の家の信仰は世界最高の教えだ。間違いない!!」
この本とともに、恩師が口酸っぱく言ってくれたコトバが今日もこだまする。
濵山正幸先生、いつも見守ってくださりありがとうございます。